「京都大学」の版間の差分

京大オリジナル株式会社の設立を含む産学連携等について加筆しました。
(京大オリジナル株式会社の設立を含む産学連携等について加筆しました。)
|学校種別 = 国立
|設置者 = [[国立大学法人|国立大学法人京都大学]]
|本部所在地 = [[京都府]][[京都市]][[左京区]][[吉田 (京都市)|吉田本町]]36番地1
|緯度度 = 35 |緯度分 = 1 |緯度秒 = 34
|経度度 = 135 |経度分 = 46 |経度秒 = 51
 
=== 建学の精神(理念・学是) ===
創立以来「自由の学風」を建学の精神としている。[[国立大学法人]]となったのちに制定された京都大学の基本理念にも引き継がれた。
 
=== 学風および特色 ===
[[京都市]]内の[[繁華街]]から離れた古都の風情を残す落ち着いた環境の中にあり、何事も学生の自主性に任せるという「自由の学風」を標榜している<ref>[http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/about/history/ideals/basic 基本理念 — 京都大学] [[2001年]]</ref>。[[リベラル派]]な大学の傾向にある<ref>大学図鑑! 2010著 オバタカズユキ([[ダイヤモンド社]])より。</ref>。毎年行われる11月祭や[[折田先生像]]を巡る落書き、卒業式での仮装などにもその一端を垣間見ることができる<ref>[[1973年]]([[昭和]]48年)度京都大学』[[赤本 (教学社)|赤本]]([[教学社]])より。</ref>。
 
京都大学や(前身の)京都帝国大学では、それらの自由の拡大あるいは縮小を巡る攻防戦が繰り返されてきた。[[滝川事件]]は最も有名な事例の一つである<ref>京都大学百年史編集委員会『京都大学百年史 : 総説編』(1998年)</ref>。
 
==== 国内・世界との比較 ====
[[タイムズ・ハイアー・エデュケーション]]の世界大学ランキング 2019(20182019』(2018年)では、世界第65位、アジア第10位、国内第2位<ref>[https://www.timeshighereducation.com/world-university-rankings/2019/world-ranking#!/page/0/length/-1/sort_by/rank/sort_order/asc/cols/stats World University Rankings 2019 <nowiki>|</nowiki> Times Higher Education (THE)]
{|class="wikitable" style="text-align:center"
|+タイムズ・ハイアー・エデュケーション<br>世界大学ランキング 2004-2013
※大学の学問的な特徴の概略をこちらでまとめる。各学部ごとに詳細な内容をまとめる必要がある場合は後述の学部をまとめた項目で記すこと。さらに歴史的・社会的にどのような価値を持つのかが関係者以外でも理解できるように記述する。-->
 
2018年10月9日現在、卒業生から7人、ゆかりのある人物も含めると10人の[[ノーベル賞]]受賞者(いずれも[[自然科学]]分野)を輩出している。これはアジアの大学で最多である。[[フィールズ賞]]、[[アルバート・ラスカー医学研究賞|ラスカー賞]]、[[ガードナー国際賞]]の受賞者数も国内の大学で最多である。
 
== 沿革 ==
=== 略歴 ===
{{出典の明記|date=2016年5月}}
京都大学の起源は[[1861年]]([[文久]]元年)に[[長崎]]に設立された[[長崎養生所]](その後、長崎精得館へ改称)まで遡る。長崎精得館の理化学部門は、当初は[[江戸]]にあった[[開成所]](現在の[[東京大学]])へ「理化学校」として移設することになっていたが、[[明治維新]]の混乱で実現しなかった。[[1868年]]([[慶応]]4年)に[[明治政府]]は「理化学校」を[[舎密局]](せいみきょく、後の理学校)として[[大阪]]に開設することを決定、[[1869年]]に開校した。[[1870年]]、理学校は1869年に開設された洋学校と合併、開成所となる。開成所はその名称を[[大阪英語学校 (旧制)]]、大阪専門学校、大阪中学校、大学分校と変遷させ、[[1886年]]に公布された[[中学校令]]によって第三高等中学校と改称する。第三高等中学校は[[1889年]]8月1日に京都市吉田町に取得した新校地へ移転した。[[1894年]]に公布された[[高等学校令]]に基づいて第三高等中学校は[[第三高等学校 (旧制)|旧制の第三高等学校]](以下、本記事において「第三高等学校」は特に断りのない限り、旧制第三高等学校を指す)となる。
[[画像:Kyoto Imperial University-old1.jpg|190px|thumb|京都帝国大学(撮影年不明)]]
[[画像:Konishi Shigenao (2).jpg|200px|thumb|第9代京都帝国大学総長 [[小西重直]]]]
[[帝国大学令]]制定後、[[近畿地方]]にも[[帝国大学]]の設置をという求める声が上がっていたが、財政難のため見送られ続けていた。[[1895年]]に[[西園寺公望]]は[[日清戦争]]で得た[[戦争賠償|賠償金]]を基に第三高等学校を[[帝国大学]]へ昇格させる提案を行う。最終的に第三高等学校を東一条通の南側(現在の吉田南キャンパス)に移転し、高等学校の土地・建物を大学が利用するという案が採用され、翌年予算処置が可決される。[[1897年]]6月18日に京都帝国大学設置に関する[[勅令]]が制定され、京都帝国大学が発足する。
 
創設時の計画では[[1898年]]にまず法科大学から設置する予定であったが、工科志望者の急増により1年前倒しという形で、創設と同年の1897年に京都帝国大学理工科大学が設置された。続いて[[1899年]]京都帝国大学法科大学および京都帝国大学医科大学、[[1906年]]京都帝国大学文科大学を設置し、約10年をかけて分科大学を設置した。初代総長(1897-1907年)には[[文部省]]専門学務局長の[[木下広次]]が就任。事務局長に当たる「書記官」には[[中川小十郎]]が就任した。
 
当時の総長の意向もあって、「研究・教授・学修の自由を重んじる[[ドイツ]]式」を採用、ドイツの大学のシステムに倣った。[[高根義人]]の主導によるこの方針は現在の「自由の学風」に影響を与えたといわれる。法科大学の卒業生の[[高等文官試験]]での不振を端として転換されたものの、京都大学に独特の学風を根付かせる端緒となったことは確かである。
 
[[1919年]]に分科大学制が学部制に変わった。その年には、[[経済学部]]が法学部から分離して独立の学部となり、[[1923年]]には農学部の設置と学部の増設が相次いだ。農学部増設と同じ年には本部構内に京都大学のシンボルとして親しまれている時計台を持つ大学本館が完成している。[[1926年]]には京都大学初の附置研究所に当たる[[京都大学化学研究所|化学研究所]]が設置された。
[[日中戦争]]激化に伴う[[戦時体制]]の強化に伴い、日本精神史(文学部)、東亜経済政策原論(経済学部)、航空学・燃料化学(工学部)などの[[国策]]に沿った講座が設けられた。[[太平洋戦争]]の開戦後、学生を軍隊風に編成する目的で「京都帝国大学報国隊」が結成される。
 
[[1943年]]、文系学生の[[徴兵制度|徴兵]]猶予が停止され、学生が続々と戦場に赴いた。京都大学の[[学徒出陣]]壮行会では総長を先頭に[[平安神宮]]に参拝、必勝を祈願したという。
 
[[第二次世界大戦]]終結後、[[公職追放]]によって大学を[[免職]]になる教授が出る一方で、滝川事件で大学を去っていた瀧川幸辰らが大学に復帰した。1946年から女子の入学が認められた。創立五十周年に当たる[[1947年]]には大学名から「帝国」が削られて京都大学と改称。[[1949年]]には第三高等学校を統合して、[[新制大学]]となった。同年には、理学部教授[[湯川秀樹]]が日本人初の[[ノーベル賞]]に輝き、京都大学ではこれを記念して湯川記念館を設置その後湯川記念館は[[京都大学基礎物理学研究所|基礎物理学研究所]]に改組されている。
 
[[1968年]]、青年医師連合の京都大学の支部による医学部大学院入試ボイコットの呼びかけに応じなかった受験生に青医連メンバーが暴行を働いたいわゆる「青医連事件」が発生。これを端緒として教養部は無期限ストに入り、学生部は[[ロックアウト]]された。東大のような入試中止という事態は免れたものの、戦後初めて卒業式が中止に追い込まれ、さらに翌年度になってもいくつかの建物のロックアウトは依然続き、全面解除は9月まで持ち越されている。なお、1973年度は、入学式が中止になっている。
**9月 京都帝国大学内に、分科大学として理工科大学設置。
*[[1899年]]
**9月 法科大学、医科大学設置
**12月 附属図書館、医科大学附属医院設置
*[[1903年]]4月 医科大学を京都医科大学と[[九州大学|福岡医科大学]]に分割。
*[[1906年]]9月 文科大学設置
*[[1909年]]11月 [[台湾総督府]]より台湾[[演習林]]を移管。
*[[1911年]]4月 [[九州大学|九州帝国大学]]開設に伴い福岡医科大学を分離、京都医科大学は旧称復帰。
 
**4月 臨時附属医学専門部を附属医学専門部に改組
**5月 木材研究所附置
*[[1946年]]9月 食糧科学研究所附置。正規の学生として初めて女子が入学(入学者1505名中17名)<ref>{{PDFlink|[http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/68875/1/kua6_99.pdf 1953年11月 関西女子学生大会]}}河西秀哉、p.3(京都大学大学文書館研究紀要第6号 2008年、p.100)</ref>。
*[[1947年]]10月 京都大学に改称
*[[1949年]]
**1月 人文科学研究所に[[外務省]]所轄の東方文化研究所と民間機関の西洋文化研究所を統合。
**5月 第三高等学校を統合、新制京都大学に改組。教育学部、分校設置。
*[[1951年]]
*[[1961年]]5月 [[工業教員養成所]]設置
*[[1962年]]4月 [[京都大学経済研究所|経済研究所]]附置
*[[1963年]]4月 [[京都大学数理解析研究所|数理解析研究所]]、[[京都大学複合原子力科学研究所|原子炉実験所]]附置
*[[1964年]] 熊野寮開寮
*[[1965年]]4月 東南アジア研究センター設置
*[[1966年]]4月 保健管理センター設置
*[[1967年]]6月 [[京都大学霊長類研究所|霊長類研究所]]附置。結核研究所を結核胸部疾患研究所に改称
*[[1969年]]
**1月 京大紛争
**6月 大型計算機センター設置。工業教員養成所廃止
*[[1971年]]4月 [[放射性同位体|放射性同位元素]]総合センター設置。工学研究所を[[原子力|原子エネルギー]]研究所に改称。
*[[1972年]]
**4月 医学部附属衛生検査技師学校を医学部附属[[臨床検査技師]]学校に改称。
**5月 体育指導センター設置
*[[1975年]]4月 医療技術短期大学部設置、医学部附属[[助産師|助産婦]]学校および看護婦学校廃止
*[[1976年]]5月 工学部附属超高温プラズマ研究施設を[[ヘリカル型|ヘリオトロン]][[核融合]]研究センターに改組。放射線生物研究センター設置。
*[[1977年]]
**4月 環境保全センター設置
**6月 評議会が[[竹本信弘]]経済学部助手の[[分限処分|分限免職処分]]決定(竹本処分事件、竹本処分粉砕とも)
**7月 埋蔵文化財研究センター設置
*[[1978年]]
**4月 情報処理教育センター設置
*[[1980年]]4月 医用高分子研究センター設置
*[[1981年]]4月 工学部附属[[電離層]]研究施設を超高層電波研究センターに改組
*[[1986年]]4月 アフリカ地域研究センター設置
*[[1988年]]
**4月 [[結核]]胸部疾患研究所を胸部疾患研究所と改称。遺伝子実験施設設置
**12月 国際交流センター設置
 
==== 平成 ====
*[[1990年]]6月 生体医療工学研究センター、留学生センター設置。医用高分子研究センター、国際交流センター廃止
*[[1991年]]4月 大学院人間・環境学研究科、生態学研究センター設置。木材研究所を木質科学研究所と改称
*[[1992年]]10月 総合人間学部設置
*[[1993年]]
**1月 [[矢野事件]]
*[[1994年]]6月 高等教育教授システム開発センター設置
*[[1996年]]4月 大学院エネルギー科学研究科、アフリカ地域研究資料センター設置。原子エネルギー研究所とヘリオトロン核融合研究センターを統合し[[京都大学エネルギー理工学研究所|エネルギー理工学研究所]]に改組。アフリカ地域研究センター廃止
*[[1997年]]4月 [[京都大学総合博物館|総合博物館]]設置。情報処理教育センターと工学部附属高度情報開発実験施設を統合し総合情報メディアセンターに改組
*[[1998年]]4月 [[京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科|大学院アジア・アフリカ地域研究研究科]]、情報学研究科設置。胸部疾患研究所と生体医療工学研究センターを統合し再生医科学研究所に改組。
*[[1999年]]4月 大学院生命科学研究科設置
*[[2000年]]
**11月 大学文書館設置
*[[2001年]]4月 食糧科学研究所を大学院農学研究科に統合。国際融合創造センター設置。
*[[2002年]]4月 [[地球環境学堂・学舎|地球環境学大学院]](大学院地球環境学研究部・地球環境学教育部)、低温物質科学研究センター、[[福井謙一]]記念研究センター設置。大型計算機センター、総合情報メディアセンター、学術情報ネットワーク機構を統合し、学術情報メディアセンター設置
*[[2003年]]4月 理学研究科附属瀬戸臨海実験所、農学研究科附属演習林、[[亜熱帯]]植物実験所、水産実験所を統合し、フィールド科学教育研究センターに改組。高等教育教授システム開発センター、学術情報メディアセンターの一部、総合人間学部の一部を改組して高等教育研究開発推進センターを設置。高等教育研究開発推進機構設置。体育指導センター廃止
*[[2004年]]4月 木質科学研究所と宙空電波科学研究センターを統合し、[[京都大学生存圏研究所|生存圏研究所]]に改組。東南アジア研究センターが附置研究所に昇格。遺伝子実験施設を廃止。[[国立大学法人法]]の規定により[[国立大学法人]]となる。
*[[2005年]]
**1月 [[石垣カフェ]]開店
**4月 留学生センターを国際交流センターに改組。環境安全保健機構、国際イノベーション機構、国際交流機構、情報環境機構、図書館機構設置
**11月 事務本部を経営企画本部と教育研究推進本部に分割改組
**12月 [[京都大学アメフト部レイプ事件]]
*[[2006年]]
*[[2007年]]
**3月 医療短期大学部を廃止
**4月 こころの未来研究センター、先端医工学研究ユニット、生命科学系キャリアパス形成ユニット設置
*[[2010年]]4月 [[京都大学iPS細胞研究所|iPS細胞研究所]]設置
*[[2011年]][[3月11日]] - [[東日本大震災]]発生。京都大学の設備に被害は無かったが、旅行で[[仙台空港]]の傍にいた4年生3人が[[津波]]に呑まれ、23日に死亡が判明した。京大は3人とも卒業要件を満たしていたことから、特例で卒業を認めた。
*[[2013年]]4月 5年制博士課程の大学院総合生存学館設置
*[[2016年]][[10月1日]] - ウイルス研究所と再生医科学研究所が統合し[[京都大学ウイルス・再生医科学研究所|ウイルス・再生医科学研究所]]が発足。
*[[2017年]]
**[[1月1日]] - 東南アジア研究所と地域研究統合情報センターが統合し、[[京都大学東南アジア地域研究研究所|東南アジア地域研究研究所]]が発足。
ここではキャンパスの名称と所在地のみ記す。-->
*吉田キャンパス([[京都市]]左京区吉田本町ほか)
*宇治キャンパス(京都府[[宇治市]]五ヶ庄)
*桂キャンパス(京都市[[西京区]]京都大学桂)
 
=== 象徴 ===
==== 学歌 ====
作詞 水梨彌久、作曲 [[下総皖一]]。[[1939年]]に出された『[[青少年学徒ニ賜ハリタル勅語]]』に応えるものとして[[1940年]]に制定された。歌詞は前年に学内で公募されたもので、卒業生の水梨の作品が一等に選ばれた。卒業式と入学式などで使われる。なお、卒業生で指揮者の[[朝比奈隆]]のファーストレコーディングは、この学歌である([[テイチクエンタテインメント|テイチク]]。演奏は[[京都大学交響楽団]])。旧帝国大学では唯一の学歌である。歌詞は京都大学の公式サイト上に紹介されている。
 
歌詞は京都大学の公式サイト上に紹介されている。
 
[[1997年]]の創立百周年を期に新しい学歌の制定を計画し、歌詞の募集も行われたが、結局『従来の学歌の方がよい』との意見が多数を占めたため、計画は中止された。
 
そのほかの京都大学に関係する歌としては以下がある。
;学生歌
:作詞 長崎太郎、作曲 芥川徹。[[1953年]]制定。歌詞は公募によるもの。
**地球環境学専攻([[博士課程]])
**環境マネジメント専攻(修士課程・博士後期課程)
*[[公共政策]]連携研究部・公共政策教育部
**公共政策専攻(専門職学位課程、[[京都大学大学院公共政策連携研究部・公共政策教育部|公共政策大学院]])
*経営管理研究部・経営管理教育部
;大学院研究科附属施設
:文学研究科附属
:*[[ユーラシア]]文化研究センター(京都市[[北区 (京都市)|北区]])
:教育学研究科附属
:*臨床教育実践研究センター
::*[[京都大学大学院理学研究科附属花山天文台|花山天文台]](京都市[[山科区]])
::*[[京都大学大学院理学研究科附属飛騨天文台|飛騨天文台]]([[岐阜県]][[高山市]])
:*[[地磁気]]世界資料解析センター
:*[[京都大学大学院理学研究科附属地球熱学研究施設|地球熱学研究施設]]([[大分県]][[別府市]])
::*[[火山]]研究センター([[熊本県]][[南阿蘇村]])
:医学研究科附属
:*動物実験施設
:*総合解剖センター
:*脳機能総合研究センター
:*[[ゲノム]]医学センター
:*医学教育推進センター
:*インキュベーションハブ京都<ref>[http://www.ihk.med.kyoto-u.ac.jp/facilities インキュベーションハブ京都](2018年6月9日閲覧)</ref>
:農学研究科附属
::農場
::*本場([[京都府]][[木津川市]]) - {{仮リンク|古曽部温室|en|Kosobe Conservatory}}
::*京都農場(北部構内)
:*牧場(京都府[[船井郡]][[京丹波町]])
::*生存圏開発創成研究系
:*開放型研究推進部
::*信楽MU観測所([[滋賀県]][[甲賀市]][[信楽町]]神山)
:::*MUレーダー(中層超高層大気観測用大型レーダー)
::*[[赤道]]大気レーダー(大気観測用[[ドップラーレーダー|ドップラーレーダー]]、EAR)([[インドネシア]][[西スマトラ州]])
:*附属生存圏学際萌芽研究センター
::*生存圏科学萌芽研究
::*地震防災研究部門
::*附属地震予知研究センター
:::*[[上宝村|上宝]]観測所(岐阜県高山市)
:::*[[北陸]]観測所([[福井県]][[鯖江市]])
:::*[[逢坂山]]観測所(滋賀県大津市)
:::*[[屯鶴峯]]観測所([[奈良県]][[香芝市]])
:::*阿武山観測所([[大阪府]][[高槻市]])
:::*鳥取観測所([[鳥取県]][[鳥取市]])
:::*宮崎観測所([[宮崎県]][[宮崎市]])
::*附属火山活動研究センター([[鹿児島県]][[鹿児島市]][[桜島横山町]])
:::*[[桜島]]火山観測所
:*地盤研究グループ
::*地盤災害研究部門
::*附属斜面災害研究センター
:::*徳島[[地すべり]]観測所(徳島県[[三好市]])
:*大気・水研究グループ
::*気象・水象災害研究部門
::*附属流域災害研究センター(京都市[[伏見区]])
:::*[[宇治川]]オープンラボラトリー
:::*大潟波浪観測所([[新潟県]][[上越市]][[大潟区]])
:::*穂高砂防観測所(岐阜県[[高山市]])
:::*白浜海象観測所([[和歌山県]][[白浜町]])
:::*[[潮岬]]風力実験所(和歌山県[[串本町]])
::*附属水資源環境研究センター
*[[京都大学基礎物理学研究所|基礎物理学研究所]]
:*ファイナンス研究部門
:*現代経済分析研究部門
:*附属[[複雑系]]経済研究センター
:*附属先端政策分析研究センター
*[[京都大学数理解析研究所|数理解析研究所]]
*[[京都大学複合原子力科学研究所|複合原子力科学研究所]](大阪府[[熊取町]])
:*原子力基礎工学研究部門
:*[[粒子線]]基礎物性研究部門
:*放射線生命科学研究部門
:*附属粒子線腫瘍学研究センター
:*進化系統研究部門
:*社会生態研究部門
:*[[認知科学]]研究部門
:*神経科学研究部門
:*ゲノム細胞研究部門
:*北海道研究林標茶区([[北海道]][[標茶町]])、北海道研究林白糠区(北海道[[白糠町]])
:*和歌山研究林(和歌山県[[有田川町]])
:*[[上賀茂]]試験地(京都市北区)
:*[[徳山市|徳山]]試験地([[山口県]][[周南市]])
:*[[北白川]]試験地(京都市左京区)
:*[[紀伊大島]]実験所(和歌山県串本町)
[[画像:Maizurusuisanjikkenjou-DSCF2612.JPG|200px|thumb|舞鶴水産実験所]]
:*舞鶴水産実験所(京都府[[舞鶴市]])
:*人類進化科学研究部門
:*健康長寿科学研究部門
:*[[幸島]]観察所(宮崎県[[串間市]])
:*[[屋久島]]観察ステーション(鹿児島県[[屋久島町]])
:*[[チンパンジー]]・サンクチュアリ宇土(熊本県[[宇城市]])
*高等教育研究開発推進センター
:*高等教育教授システム研究開発部門
;教育研究施設等
*[[京都大学総合博物館|総合博物館]]
*[[福井謙一]]記念研究センター
:*理論研究部門
:*総合研究部門
*アフリカ地域研究資料センター
*白眉センター
*[[学際]]融合教育研究推進センター
*高等研究院
:*先端医工学研究ユニット
:*グリーン・イノベーションマネジメント教育ユニット
:*次世代低炭素ナノデバイス創製ハブ
:*日本-[[エジプト]]連携教育研究ユニット
:*心の先端研究ユニット
:*地域生存学総合実践研究ユニット
 
==== 学術交流提携校 ====
共同研究や研究者・学生の交流を行うため、166の大学・機関と大学間交流協定を結んでいる。またべ929の大学・機関と部局間協定を結んでいる。()内の数字は締結年
*[[アジア]]
**{{CHN}}
*2004年
*;革新的な学術分野
**[[昆虫科学]]が拓く未来型食料環境学の創生
 
==== [[グローバルCOEプログラム]] ====
**普遍性と創発性から紡ぐ次世代物理学
*;機械、土木、建築、その他工学
**アジア・[[メガシティ]]の人間安全保障工学拠点
*;社会科学
**親密圏と公共圏の再編成をめざすアジア拠点
*;学際、複合、新領域
**[[地球温暖化]]時代のエネルギー科学拠点
*2009年
*;学際、複合、新領域
京都大学での学部段階での教育は、全学が対象の教養科目と各学部ごとの専門科目に大別される。このうち教養科目については、1993年の教養部廃止以降、全学共通科目を中心に再編された。教養科目と専門科目の分担は、1・2回生を教養課程、3回生以上を専門課程とするような学年による区分は行わず、1回生では教養科目を多く履修し、学年が上がるに従って専門科目の割合を徐々に増やし、卒業までに教養・専門のそれぞれで必要な単位を取得する方式を採っている。ただし学部によっては、途中の年次までに所定の教養科目の単位を取得していないと系登録・研究室配属などができない(事実上の[[原級留置|留年]])ことがある。
 
2013年度に全学共通で年間登録授業数の上限を定めるキャップ制が新規入学生に適用されることとなった。様々な科目を広く履修し各学生が己の適正を探っていけるよう理学部や文学部は学科を細分せず単学科となっている。だが、キャップ制にはこれら既存の教育制度との齟齬があるとして、しばしば在学生の間で問題視されている。
 
教養科目の大半は全学共通科目であり、以下の5群に分類される。
== 学生生活 ==
=== サークル活動 ===
1916年に設立された[[朝比奈隆]]の出身サークルとして交響楽に詳しい人々の間では著名な[[京都大学交響楽団]]や[[学生新聞]]に当たる京都大学新聞を発行している[[京都大学新聞社]]などが知られている。また、[[京都大学SF研究会]]は[[SFファンダム]]においてローカルコン[[京都SFフェスティバル]]の主催などで知られている。
 
また、京都大学では[[学生運動]]の名残が残っており、近年でも[[石垣カフェ]]といった事例が発生している。
;交通アクセス
*JR[[奈良線]]、[[京阪宇治線]][[黄檗駅]]から徒歩5分。
[[大日本帝国陸軍|旧陸軍]]の弾薬庫跡地を利用して[[1947年]]に開設された。1950年度から1960年度まで教養部1回生の講義が行われていたことがあったが、現在は学部の講義は行われていない(ただし夏休みなどに行われる全学共通科目の集中講義の中には宇治で行われるものもある。たとえば「ビーム科学入門」のように化学研究所提供のものなど)。工学部や理学部、農学部の4回生は、配属された研究室によってはここで卒業研究を行うこともある。
 
==== 桂キャンパス ====
**京阪京都交通、京都市営バスは主に[[阪急京都本線|阪急京都線]][[桂駅]]から(昼間で10分に1本程度、所要時間約15分)
**ヤサカバスはJR[[桂川駅 (京都府)|桂川駅]]から(昼間で1時間に1本程度、所要時間約20分)
[[1990年代]]には吉田・宇治の両キャンパスが手狭になったことから、「第3キャンパス」の建設が計画された。当初は京都府南部や滋賀県も候補地として検討されたが、京都市の提案により、市が住宅地として開発していた「桂御陵坂」地区が建設地に選ばれた。[[2003年]]に化学系・電気系専攻の移転が完了し、使用が開始された。キャンパスはAからDの4つの「クラスター」に分かれている。物理系であるCクラスターは2012年秋に竣工<ref>[http://www.kyoto-np.co.jp/education/article/20130106000096 1010年かけ桂移転ほぼ完了 京大工学研究科 : ]『[[京都新聞]]』</ref>、12月から移転を開始している<ref>{{PDFlink|[http://www.keikikai.jp/honbu/news/news31.pdf 京機会ニュース No.31 平成24年(2012年)秋号]}}</ref>。情報系であるDクラスターは整備開始の目処が立っておらず、未造成である。なお[[京都市営地下鉄東西線]]の桂キャンパス付近への延伸構想があるが、建設時期などは未定である。
[[画像:View of Kyoto from Kyoto University Katura Cluster C (cropped).jpg|800px|thumb|center|Cクラスターからの眺め。中央の茶色の建物がBクラスター。]]
元々は山であった場所を切り開いて建設したため、地形が起伏に富んでいる。桂駅側からの場合、長い坂道を登らなければならない。周囲から隔絶されている。
;登録有形文化財
*[[楽友会館]]
*[[キリスト教|基督教]]青年会会館
*人文科学研究所附属漢字情報研究センター
*総合人間学部正門(旧第三高等学校正門)、総合人間学部門衛所(旧第三高等学校門番所)
*文学部陳列館
*本部構内正門(旧第三高等中学校正門)
*理学部附属地球熱学研究施設<!--
 
== 対外関係 ==
=== 産官学連携・ベンチャー支援 ===
産官学連携本部を設置して、出資や[[インキュベーター (起業)|インキュベーション施設]]の運営などにより、京大発[[ベンチャー]]企業の育成や[[産学連携]]に取り組んでいる<ref>[http://www.saci.kyoto-u.ac.jp/ 京大発ベンチャー支援](2019年3月7日閲覧)。</ref>。
 
2018年には、産学連携を橋渡しする京大オリジナル株式会社を設立した<ref>[https://www.kyodai-original.co.jp/ 京大オリジナル株式会社](2019年3月7日閲覧)。</ref>。<!--
=== 他大学との協定 ===
Stub
{{main|京都学派}}
 
=== 沢柳社会に影響を与えた事件・出来事 ===
==== 沢柳事件 ====
京都帝国大学では[[学問の自由]]、[[学問の自由#大学の自治|大学の自治]]の観点から、慣行的に、教授の任免を教授会が行ってきた。しかし1913年、文部省が任命した[[澤柳政太郎]]総長は、教授会の同意なく文科大学と理工科大学の7名の教授を免官した。法科大学(後の法学部)は「教授の人事権は教授会にあり」と澤柳に反旗を翻し、翌1914年1月には法科の全ての教授と助教授が抗議の連帯辞職を宣言した。教官を失いそうになった法科学生は、教官の復職と教授会自治の獲得等を目指し、法科支持の運動を繰り広げた。東大法科も京大法科を支援した。結局、[[奥田|奥田義人]]文相は法科の言い分を認め、後ろ盾を失った澤柳は辞任に追い込まれた。教授会自治を文相が公認したことにより、京大や他大学の自治の発展にも好ましい影響を及ぼした。なお、京大ではこの事件を契機に、総長の学内選出を求める運動が起こり、これも数年後に実現した。
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==== 京都学連事件 ====
[[1910年代]]、日本の大学・高校・専門学校等では[[マルクス主義]]を研究する[[社会科学研究会]]がしばしば組織されていた。1924年、全国49校の社研が参加する[[学生社会科学連合会|学連]]が発足し、マルクス主義の研究や普及、労働争議や労働者教育に関する運動を活発に行った。しかし政府は学生達の活動を危険視し、徹底的な弾圧を開始した。1925年12月、[[特別高等警察|特高警察]]が、京大や同大の社研会員の自宅や下宿を急襲し、学生33名を検挙した。寄宿舎(吉田寮)で立会人なしの家宅捜索を行ったことが批判され、一度は全員を釈放したものの、翌1926年1月には捜査態勢を立て直し、改めて多数を検挙した。検挙された学生のうち38名が[[出版法]]および[[治安維持法]]違反、[[不敬罪]]で起訴され、37名が有罪になった。社研と繋がりのあった教員も捜査の対象になった。この事件は日本内地で治安維持法が適用された最初の事例になった。政府は当初、治安維持法を利用してマルクス主義や[[共産主義]]を取り締まっていた。しかしやがて[[自由主義]]や[[民主主義]]、[[社会主義]]、[[反戦運動]]、[[新宗教]]、[[右翼]]も同様に弾圧するようになり、いつしか国民が政府を批判することは一切許されなくなってしまった。
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==== 滝川事件 ====
沢柳事件を経て、京大を含む国内の大学は高度な自治を勝ち取った。しかし[[1930年代]]、[[ナショナリズム]]が高揚し[[軍国主義]]が台頭すると、政府は教育や学術研究を統制するため、学問の自由を担保する大学の自治、その総本山と見なされていた京大を攻撃した。1933年5月、[[鳩山一郎]]文相は、京大法学部の[[瀧川幸辰]]教授の講演や著書の内容が[[アナキズム|無政府主義]]的であるとして、[[小西重直]]総長に瀧川の罷免を要求した。法学部と小西総長は要求を拒絶したものの、文部省は瀧川の休職処分を強行した。法学部は沢柳事件に倣い、全教官・全学生が辞職届・退学届を提出するなどして激しく抵抗したが、瀧川の休職は解除されず、小西総長は辞職に追い込まれ、辞職届・退学届もたたき返されてしまった。[[言論統制|言論弾圧]]の対象が、(従来の)[[マルクス主義]]的・[[共産主義]]的思想から[[自由主義]]的・反政府的思想へと拡大された瞬間だった。以降、政府は政権運営に都合の悪い言論・思想への弾圧をエスカレートさせていったが、統制下に置かれた大学に政府の暴走を指摘する自由はもはやなく、抑制を欠いた日本は[[日中戦争]]・[[太平洋戦争]]へとのめり込んでいった。この事件を基にして戦後、映画[[わが青春に悔なし]]([[黒澤明]]監督)が製作された。
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==== 綜合原爆展(京大原爆展) ====
[[連合国軍占領下の日本]]において、[[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]]は新聞や雑誌等のメディアを[[検閲]]し、[[広島市への原子爆弾投下|広島]][[長崎市への原子爆弾投下|長崎の原爆被害]]の実情が一般市民に伝わるのを妨害していた。そこで、京都大学の全学学生自治会(同学会)は原爆の実情と意味を世間に知らしめるため、[[1951年]](昭和26年)7月に[[京都駅]]前の[[丸物]]百貨店で一般向けの原爆展「[[綜合原爆展]]」を開催した。この種の原爆展は世界で初めての試みだったとされるが、数万人の入場者を集めて大成功した。その後も同展覧会のパネルを利用して各地で小さな原爆展が開かれ、非常な注目を集めた。[[第五福竜丸]]がビキニ水爆実験で被爆し、[[反核運動]]に火がつくのは、その3年後のことだった。
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==== 京大天皇事件 ====
[[1951年]](昭和26年)、[[昭和天皇]]が来学した際に、見物に詰めかけた学生と警備の警察との間で一時的に緊張が高まった事件。実力行使はなく、違法行為も見られなかったが、文部大臣や保守派の議員などから不敬であると非難され、同学会が解散に追い込まれた。同学会はこのとき時に2度目の綜合原爆展を計画していたが、天皇の来学と同学会の解散の影響で実現はならなかった。
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==== 2017年入試における出題ミス ====
2018年2月、2017年の二次試験(物理)で出題ミスがあったことを認め、追加合格の措置を取ると公表。予備校講師から「解答不能の問題がある」と指摘され判明<ref>[https://www.sankei.com/smp/west/news/180201/wst1802010011-s1.html 京大でも入試ミス、追加合格へ 約20人の合否に影響 予備校講師が「解答不能」と指摘 - ][[産経新聞|産経WEST]] 2018年2月1日</ref>。
 
== 脚注 ==