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'''細川 氏綱'''(ほそかわ うじつな)は、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]後期の[[武将]]で、[[室町幕府]]第35代にして最後の[[管領]]。[[摂津国|摂津]][[守護]]。第18代[[細川氏#京兆家|細川京兆家]]当主。[[細川尹賢]]の子で、父の盟友でもあった[[細川高国]]の養子。なお、氏綱及び前任の[[細川晴元]]の管領就任を史実ではないとする説もある(詳細は[[管領]]の項目参照のこと)
 
== 生涯 ==
父の従兄弟([[いとこ|従伯父]])であった細川高国の養子となる。天敵で対立関係にあった[[細川晴元]]の反撃を阻めず敗死した養父と、その晴元方に転じて生き残りを模索しながら殺害された実父、2人の仇を討つべく晴元打倒の機を窺い続けた。
 
高国の弟である[[細川晴国]]とは年齢が近く、高国の嫡子[[細川稙国|稙国]]の没後は後継者の地位を巡って微妙な関係にあったと思われる。その立場を高国が配慮したためか[[大永]]6年([[1526年]])12月に細川次郎(氏綱)・八郎(晴国)が同時に元服させられている。翌7年([[1527年]])以降[[和泉国|和泉]]に赴いたと思われ、後の蜂起の際に常に和泉から活動しているのは、こういった縁によるものと思われる。また、[[法華一揆|天文法華の乱]]に際し晴国が反晴元の兵を起こした際に、晴国より3歳年上で十分主体的な行動が可能であったはずの氏綱が何も動きを見せていないのは、高国の後継者を巡る微妙な関係が影響していたのではないかと推測されている。
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* {{Cite book|和書|author=下川雅弘|authorlink=下川雅弘|chapter=三好長慶の上洛と細川氏綱|title=三好長慶|publisher=[[宮帯出版社]]|year=2013|isbn=978-4-86366-902-4}}
* {{Cite book|和書|author=小谷利明|authorlink=小谷利明|chapter=畠山稙長の動向|title=戦国期の権力と文書|publisher=[[高志書院]]|year=2004}}
* {{CitationCite book|和書|author=岡田謙一|authorlink=岡田謙一|chapter=細川晴国小考|editor1=天野忠幸|editor2=片山正彦|editor3=古野貢|editor4=渡邊大門|title=戦国・織豊期の西国社会|series=日本史史料研究会論文集|publisher=日本史史料研究会企画部|year=2012}}
* {{Cite journal|和書|author=馬部隆弘|authorlink=馬部隆弘|title=細川国慶の上洛戦と京都支配|journal=日本史研究|issue=623|year=2014|month=7}}
* {{Cite journal|和書|author=馬部隆弘|title=細川国慶の出自と同族関係|journal=史敏|issue=9|year=2011|month=10}}