「ジャン・ヴィゴ」の版間の差分

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父の死後、極右勢力による嫌がらせや脅迫は遺族へも及び、当時12歳だったジャンの家族は身を隠すように暮らしていた。高校に進むも学校をたらい回しにされ、クラスメイトには除け者にされた。そのためモンペリエに住む義理の祖父(母の再婚相手の父)で写真家でもあるガブリエル・オーベスに扶養されることになり、そこで彼にイメージの手ほどきを受けた。
 
1931年、26歳の時にポーランド出身のリドゥ・ロザンスカ(Lydu Lozinska)と結婚し、一人娘のリュース・ヴィゴ<ref>長じて映画批評家、ジャン・ヴィゴ賞の主催者。また映画『ル・アーヴルの靴磨き』にはサンドイッチ売りとして出演。1931年6月30日生まれ、2017年2月12日死去 https://twitter.com/YannBreheret/status/830789759735836672</ref>をもうけた。ジャン・ヴィゴの映画はすべて最後に「リュース・ヴィゴへ(à Luce Vigo)」という献辞がある
 
ジャン・ヴィゴは若い頃から[[肺結核]]を病んでおり、29歳の時に[[敗血症]]で死亡するが、その短い生涯でのちにフランスと世界の映画の将来の発展に大いに影響を与えることになる2本の劇映画『新学期・操行ゼロ』(1933)と『 [[アタラント号]] 』(1934)を残した。またそれ以前に、1920年代の[[ニース]]の社会的不平等を題材にしたサイレント映画 『ニースについて』(1929)と、世界新記録を樹立した水泳選手のスポーツドキュメンタリー『水泳選手ジャン・タリス』の2本の記録映画を監督している。彼の2本の劇映画は検閲によって非愛国的とされ公開禁止処分を受け、[[パリの解放]]後まで上映は許可されなかった。
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== 作品 ==
===ドキュメンタリー映画===
* ニースについて ''À propos de Nice''([[1930年]])
* 水泳選手ジャン・タリニーについて ''Taris,À roipropos de l'eauNice''([[19311930年]]) - [[サイレント映画]]。23分。
* 水泳選手ジャン・タリス ''Taris, roi de l'eau''([[1931年]]) - [[トーキー]]。9分。
* [[新学期・操行ゼロ]] ''Zéro de conduite: Jeunes diables au collège''([[1933年]])
===劇映画===
* [[アタラント号]] ''L'Atalante''([[1934年]])
* [[新学期・操行ゼロ]] ''Zéro de conduite: Jeunes diables au collège''([[1933年]]) - トーキー。41分。
* [[アタラント号]] ''L'Atalante''([[1934年]]) - トーキー。89分。
 
== 関連作品 ==