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{{by|2010年}}[[7月28日]]に捕手としては野村克也以来であり、プロ野球史上8人目となる2500試合出場達成。休養や小さな怪我での欠場はあったものの、シーズンを通して一軍登録を抹消されず、チーム4年ぶりのリーグ優勝に貢献した。
 
{{by|2011年}}[[6月4日]]対西武戦の5回の守備の際、[[高山久]]とのクロスプレーで左ひざ内側側副靭帯を損傷し、約2カ月間一軍登録を抹消される。谷繁不在の間、チームは15勝21敗1分けと大きく負け越したが、谷繁はその間リハビリと上半身のトレーニングに懸命に取り組み、[[7月29日]]に一軍復帰した後は打率.301、打点23と打撃面でも活躍した。不振の[[和田一浩]]に代わって、シーズン後半からは'''5番打者'''を任され、9月末には球団記録にあと1つに迫る10試合連続打点を記録するなど、ペナントレース終盤の逆転優勝劇に大きく貢献した。しかし、ポストシーズンでは一転して打撃不振に陥り、[[2011年のセントラル・リーグクライマックスシリーズ|CS]]では全試合にスタメン出場するも無安打に終わる。[[福岡ソフトバンクホークス|ソフトバンク]]との[[2011年の日本シリーズ|日本シリーズ]]でも全試合にスタメン出場したが無安打は続き、[[11月20日]]の第7戦5回の第2打席で三振を喫し、[[1989年の日本シリーズ|1989年]]の[[大石大二郎]]([[大阪近鉄バファローズ|近鉄]])の21打数連続無安打のシリーズワースト記録を更新する、22打数連続無安打を記録。無安打記録は最終的には23打数まで伸ばし、CSファイナルステージ第1戦の第1打席からは43打席連続無安打を喫したことになった。この年は2年ぶりとなるゴールデングラブ賞と、5年ぶりとなる最優秀バッテリー賞を[[吉見一起]]と共に受賞した。なお、[[8月25日]]の[[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルト]]戦([[明治神宮野球場]])で、プロ23年目、通算2594試合目にしてプロ入り初めて[[一塁手]]としてスタメン出場した。一塁手に限らず公式戦で捕手以外の守備に就いたのも初めてである。
 
{{by|2012年}}[[4月25日]]のヤクルト戦で24年連続となる本塁打を放ったが、これは「入団一年目」からの連続シーズン本塁打のプロ野球新記録となった。[[7月26日]]の阪神戦で本塁打を放ち、通算3000塁打を達成。打率は.228(リーグワースト2位)だったものの、5年ぶりに[[規定打席]]に到達するなど、シーズンを通して活躍を見せた。[[2012年のセントラル・リーグクライマックスシリーズ|CSファイナルステージ]]では第1戦の第4打席で適時二塁打を放ち、前年から続いたポストシーズン無安打記録は60打席で止まった。
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{{by|2013年}}は開幕から打撃が好調で、[[5月6日]]のヤクルト戦で右前安打を打ち、通算2803試合目で史上44人目の通算2000安打を達成した。プロ25年目、9693打席目での達成は史上最遅であり、42歳での到達も[[宮本慎也]]の41歳5ヶ月を抜いて最年長記録となった。また2000安打達成者のうち2014年終了時点で、生涯打率が.250に達しない唯一の選手である。捕手としては野村克也、[[古田敦也]]に次いで3人目の達成となった。[[5月12日]]の広島戦で中日での通算1000安打を達成。「2球団で1000安打達成<ref>横浜時代は通算1002安打。</ref>」は[[大杉勝男]]、[[金本知憲]]に次いで史上3人目である。しかしその後は打撃不振に陥り、守備でも盗塁阻止率が自己最低の.174を記録するなど、不本意なシーズンに終わった。[[6月30日]]には通算出場試合数が2832試合となり、[[王貞治]]を抜いて歴代2位となった。
 
==== 中日選手兼任監督時代 ====
2013年10月9日、GMとして中日に復帰した落合博満の推薦により、{{by|2014年}}シーズンより'''選手兼任監督'''としてチームの指揮を執ることが球団より発表された<ref name="dragons20131010"/><ref name="Tanishige"/>。NPBでは古田敦也([[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルト]])以来7年ぶり、チームとしては[[野口明]]以来59年ぶりとなる選手兼任監督となった。
 
{{by|2014年}}、[[7月22日]]の対DeNA戦(横浜スタジアム)で2回無死一、二塁の場面で[[久保康友]]から本塁打を放ち、[[野村克也]]の記録を更新するNPB新記録の新人から26年連続本塁打。また選手兼任監督の本塁打は同じく1977年の野村以来37年ぶりとなった<ref>[http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2014/07/23/kiji/K20140723008613000.html 谷繁監督 ノムさん超え弾 日本新26年連続本塁打、37年ぶり兼任弾]スポーツニッポン2014年7月23日配信</ref>。[[8月27日]]、対DeNA戦(ナゴヤドーム)で捕手として2922試合目の公式戦出場を達成し、これも野村の持っていた記録を34年ぶりに更新した<ref>[http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2014/08/27/kiji/K20140827008821500.html 谷繁“ノムさん超え”プロ野球新記録の捕手2922試合出場] スポニチアネックス(2014年8月27日)</ref>。同年は監督としてチームをBクラスから脱出させることができず、選手としても[[2014年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|オールスターゲーム]]出場は果たしたものの、シーズンの打撃では1割台に終わり、1995年以来の100試合未満の出場に終わった。
 
==== 中日監督兼選手時代 ====
 
{{by|2015年}}からは肩書きが'''監督兼選手'''に変更となる<ref>[http://dragons.jp/teamdata/players/tanishige_m.html 選手名鑑 谷繁元信(監督兼選手)]中日ドラゴンズ 公式サイト 2015年3月28日閲覧</ref>。[[3月27日]]の開幕戦にはスタメンを[[松井雅人]]に譲り、2014年まで続いていた開幕スタメン連続出場が21年で途切れた<ref>[http://www.nikkansports.com/baseball/news/1453156.html 谷繁兼任監督痛すぎるサヨナラ負け「これが開幕戦」]日刊スポーツ 2015年3月28日</ref>。[[4月30日]]の対巨人戦([[東京ドーム]])でスタメン出場し、野村克也以来史上2人目の通算3000試合出場を達成した<ref>[http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2015/04/30/kiji/K20150430010266730.html 谷繁 今季初スタメン、史上2人目の3000試合出場達成] スポニチアネックス(2015年4月30日)</ref>(本人は実感がなかったらしい)。[[5月2日]]のDeNA戦では9回からマスクをかぶったが、本塁上のクロスプレーでセーフと判定されたことを巡り、[[山路哲生 (プロ野球審判)|山路哲生]][[球審]]に触れて抗議したとして退場が宣告された<ref>[http://www.nikkansports.com/baseball/news/1470644.html 谷繁退場走者タッチ遅れ球審にタッチ/写真リプレー] -([[日刊スポーツ]])[2015年5月2日19時47分]</ref>。退場処分を受けたのはプロ27年目、出場3001試合目で初めて<ref>[http://www.nikkansports.com/baseball/news/1470748.html 谷繁兼任監督初退場「両手で触れた」3001試合目] - 野球 : 日刊スポーツ([[2015年]][[5月3日]]10時38分 紙面から)</ref>。翌[[5月3日]]に[[日本プロフェッショナル野球組織]]の[[熊崎勝彦]]コミッショナーから厳重注意と制裁金20万円の処分が科された<ref>[http://www.nikkansports.com/baseball/news/1471015.html 中日谷繁監督に厳重注意と制裁金20万円] - ([[日刊スポーツ]])[[2015年]][[5月3日]]14時51分</ref>が、翌々日の[[5月4日]]の[[阪神甲子園球場]]で行われた[[阪神タイガース]]7回戦でシーズン初の[[安打]]・[[得点]]を記録すると、[[ランディ・メッセンジャー]]から3点[[本塁打]]もマークして汚名返上を果たし、これで安打・本塁打ともに27年連続となり、自身の持つプロ野球記録を更新した<ref name="20150504nikkansports">[http://www.nikkansports.com/baseball/news/1471527.html 中日谷繁が27年連続安打&本塁打 NPB記録更新] - 野球 : ([[日刊スポーツ]] [[2015年]][[5月4日]]17時15分)</ref><ref name="20150504sponichi">[http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2015/05/04/kiji/K20150504010290150.html 谷繁兼任監督、出た!日本記録更新の27年連続安打&本塁打!] - [[スポニチアネックス]]([[2015年]][[5月4日]] 15:37)</ref>。後半戦、チームは最下位と思わしくない状況であったが、[[7月25日]]の[[明治神宮野球場]]での[[東京ヤクルトスワローズ]]戦の7回から捕手として途中交代出場。この出場により野村克也(当時は[[西武ライオンズ]])が持つ通算試合出場数の3017試合に肩を並べ、迎えた7月28日の本拠地[[ナゴヤドーム]]での[[阪神タイガース]]との試合で8番・捕手で先発出場し、通算3018試合出場を達成。野村の記録を塗り替え前人未到の記録を達成した。
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12月2日付で、[[日本野球機構]](NPB)から[[自由契約|自由契約選手]]として公示された<ref>[http://www.npb.or.jp/players/2015pn_released.html 2015年度 自由契約選手] - 2015年12月2日閲覧</ref>。
 
==== 中日監督専任時代 ====
{{by|2016年}}から監督専任となったが、チームの成績不振は改善されず、その責任をとらされる形で一軍守備コーチの[[佐伯貴弘]]と共に同年8月9日に休養(事実上の解任)が発表され、当日の対東京ヤクルトスワローズ戦から[[森繁和]]ヘッドコーチが[[監督代行]]となった<ref>{{cite web|url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/1692337.html|title=谷繁休養の舞台裏…冷え切ったベンチ/記者の目|publisher=[[日刊スポーツ新聞社]]|author=柏原誠|date=2016年8月12日|accessdate=2018-08-08}}</ref>。公式戦全試合終了後、森は正式に翌年の監督に就任した。
 
=== 中日監督退任後 ===
[[2017年]]からは、[[名古屋テレビ|メ~テレ]](本数契約)・[[フジテレビジョン|フジテレビ]]・[[ニッポン放送]](専属契約)の[[野球解説者]]<ref>[https://baseballking.jp/ns/98399 ショウアップナイターの解説に谷繁元信氏が加わる!「上手く伝えていけたら」] - [[ベースボールキング]]、2016年12月12日、17時20分配信</ref>、[[毎日放送]]([[MBSテレビ]]・[[MBSラジオ]])のゲスト解説者、[[日刊スポーツ]]の[[野球評論家]]として活動している。