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[[File:Hideo Saito.JPG|thumb|ヒデオ・サイトー]]
6月、プエルトリコ遠征から帰国し、帰国後もヒデオ・サイトーのリングネームとして参戦した。18日、大阪府立体育会館大会で永田に試合後襲撃を敢行、青義軍メンバーの[[キング・ファレ]]の制止をはねのけ腰に巻いていた[[しめ縄]]で[[死刑|絞首刑]]の如く永田を締め上げ、青義軍に決別宣言し[[CHAOS (プロレス)|CHAOS]]に寝返った。
 
7月3日、ヒデオはタッグマッチで永田と対戦して終始永田の首を締め上げ続けた。翌13日、飯塚とタッグを組み永田・ファレ組と対戦、ファレをカリビアンデスクリップによる首絞めでタップを奪った。また、5日後の18日に初めて永田とのシングルマッチが組まれるもレフェリー暴行による反則負けとなった。
 
8月、[[G1 CLIMAX]]に初出場、[[矢野通]]戦では試合開始後にリングの真ん中に寝転がった<ref>矢野はサイトーヒデオを起こさずそのまま押さえ込んでフォール勝ちを狙ったが、サイトーヒデオが3カウントを取られる前に寝返りを打ったため阻止された。</ref>。その矢野との場外戦ではハンマーで矢野がヒデオの頭を攻撃したとき、ヒデオがゴングで防ぎ「カーン」と鳴って観客の失笑を誘い、[[内藤哲也]]戦では'''[[平田淳嗣|スーパー・ストロング・マシン]]'''のコスチュームとマスクで現れ<ref>試合開始数分でマスクを剥がされた。この行為について内藤は、「その路線で永遠にやってろ!」とコメントした。『[[週刊プロレス]]』 2011年8月31日号 P.34より</ref>、[[高山善廣]]戦では'''虫取り少年'''のようなコスチューム(麦わら帽子・ランニンシャツ・短パン・虫取り網・虫篭)で登場した。虫とり網を高山の頭に被せる<ref>この行為について高山は試合後「変質者に襲われた感じ、通り魔だよ、恐ろしいね」とコメントした 『[[週刊プロレス]]』2011年8月24日号 P.9より。</ref>など、奇行に拍車が掛かった。同ブロックの殆どの選手に負け「楽な試合」「リーグ戦の中休み」など言われたが、最終日の永田戦は入場直前の控え室で永田を襲撃し、腕固めを切り返してのカリビアン・デス・グリップで大会中唯一の勝利を収めると共に永田の決勝戦進出を阻んだ。
 
9月、神戸大会で永田と再戦したがしかし最後は永田のバックドロップホールドで敗れた。
 
10月3日、[[天山広吉]]のデビュー20周年記念大会『猛牛祭』に[[石狩太一|タイチ]]とシングルマッチで対戦した。リング外の売店で売られていたピンク色のシュシュで前髪を括った姿で現れ、入場直後にゴングを連打する奇行に走っている。試合は終始タイチに取られたシュシュを餌に振り回されるもカリビアン・デス・クリップで勝利する。この試合を境にサイトーヒデオは前髪をシュシュで括った姿で入場するようになり、相手選手に奪わる事を考慮して入場直後に尾崎リングアナにシュシュを預けるようになった。
 
12月4日愛知大会、[[天コジ]]再結成戦と銘打たれたテンコジとのタッグ戦で飯塚と組んで対戦、試合中に飯塚のアイアンフィンガーフロムヘルを盗み出すというサイトーヒデオの行動は最近見られる光景だった。しかし、盗み出した後アイアンフィンガーで飯塚を襲撃した直後にバックステージに逃走、結果は置き去りにされた飯塚が天山のアナコンダバイスで敗北した。だが試合後にヒデオは仲間である筈の[[CHAOS (プロレス)|CHAOS]]の矢野と[[石井智宏]]の手でバックステージから引きずり戻され、飯塚・石井・矢野からイス攻撃&ストンピングを食らい、最後はコスチュームを剥ぎ取られ黒のショートタイツ姿にされた後、飯塚から仕返しのアイアンフィンガーを喰らった。
 
=== キャプテン・ニュージャパン ===