「ガッチナ」の版間の差分

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次の皇帝[[アレクサンドル2世]]はガッチナを第二の住まいとした。彼は狩猟のために関係者の泊まる「狩猟村」を築き、ガッチナの南部に隠遁所を設け、友人や賓客と、北西ロシアの手付かずの森の中で過ごすための別荘を建てた。
 
[[ファイル:32 Gatchina-AerealAerial view of the emperors palace jpg.jpg|thumb|250px|ガッチナ宮殿の空撮(19世紀)]]
[[アレクサンドル3世]]はガッチナ宮殿で育てられ、生涯ガッチナを主な住まいとした。父アレクサンドル2世の[[1881年]][[3月1日]]の暗殺事件にショックを受けた彼はガッチナでほとんどの時間を過ごした。人々は、アレクサンドル3世が引きこもるかのように住み続けるガッチナ宮殿を、その反動的な諸政策から「専制君主の城塞」などと呼んだ。アレクサンドル3世はガッチナ宮殿に電灯や水道管・下水道網など近代的なシステムを導入している。