「Wikipedia:なぜウィキペディアは素晴らしくないのか」の版間の差分

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== 記事の品質 ==
{{Seealso|Wikipedia:免責事項|ウィキアリティ}}
[[検索エンジン]]による検索結果のトップにウィキペディアの内容が表示されることがしばしばあります([[検索エンジン最適化]])。しかしその内容は、知識やモラルのない者も含め「誰でも編集に関われる」、つまり[[ウィキ]]であるということの裏返しで、残念ながら、常に信頼に足るものであるとは限りません<ref name="truthless">書いた人の「[[Wikipedia:利用者ページ|利用者ページ]]」にある自己紹介的な内容とて、全て自称であり、真実であるとは限りません。書かれている事の真実性は一切担保されません。中には全く関係ない事が書かれていたり、また、何も書かずに「要出典タグばかり張り付けている者さえいます。</ref>('''内容が間違っているかもしれない・最悪の場合は嘘が混ざっているかもしれない[[百科事典]]'''というのは考えられない存在です。また記事の品質を高めるためには、記事が正しく、出拠に基づく正しい記事を誤った方向にリヴァートするなどの[[Wikipedia:荒らし|荒らし]]行為の実行者は、永久追放などの厳罰が必要だが、[[Wikipedia:管理者|運営側]]はその必要性をまったく理解していないことがげられます。[[Wikipedia:ビコリム戦争]]という実例があったように)。むしろ、公式[[ウェブサイト]]、[[学者]]の[[ブログ]]・研究成果、また報道各社の[[ニュースサイト]]を見る方がましだったりします<ref>現在進行中の事はウィキペディアには不適切かもしれません。同系プロジェクトの[[ウィキニュース]]は何のためにあるのでしょう?</ref>。
 
=== 記事の正確性 ===
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内容が刻一刻と変わっていく性質上、ウィキペディアは参考文献に挙げにくいという面があります<ref>しかもそのほとんどが、百科事典ではなく[[年鑑]]に移したほうがいいのではないかと思われる項目です。ちなみにウィキメディアプロジェクトに年鑑はありません。</ref>。参考文献を挙げる時に第何版かを書くのは、誰もがその人が参照したものと同じものを探すために非常に重要です。これをウィキペディアでやろうとすると、ある特定の版へのリンクを示さないといけないことになります。誰かがウィキペディアを参考文献に挙げても、これがないと後でそれを参照した人はみな異なったバージョンの記事を読むことになり、完全に混乱が起こります。
 
[[ウィキペディア日本語版]]においては、単に[[:en:Main_Page|英語版]]からの「ダイジェスト」として直訳の文章からなる記事が多く見かけられますし、'''誤訳もたくさん'''あります<ref>誤訳が20件以上指摘された記事や、多数の誤訳を含む「良質な記事」さえあります。近年では低質な翻訳を投稿して、免罪符のように<nowiki>{{翻訳直後}}や{{翻訳中途}}</nowiki>を貼って放置する例も目につきます。良質な翻訳を行える人の数は限られる上、修正には原文と対照し疑問点を調べ上げてwikitextを編集するという面倒な作業が必要なため、誤訳の大部分は何年も残っています。さらに日本語版で独自の加筆が増えたり、原語版記事が充実して分割されたりすると原文との対照さえ困難で、修正はほとんど不可能になります。そもそも英語が十分にできる人は、活動するにしても運営のましな英語版に行くという問題もあり、日本語版の翻訳記事はずっと低質な状態のままです(無理しないで日本語文献から記事を作ればいいのに…)……)。</ref>。また、日本語版にしか存在しない記事もあります(後述[[#関心の偏在]]」)。記事の完成度はかならずしも文章の量によって満たされるものではありません。当の言語体系に即してどれだけ明確な解説が図られているかが重要な基準となります<ref>言語体系に即する、という約束については、日本人編集者がさらに留意しておくべき点があります。それは、'''むやみやたらに外来の言葉を用いないよう'''気をつけることです。日本語版の記事を執筆する以上、編集者は日本語と外国語とをしっかり識別しなければなりません。日本語文字の一種である[[カタカナ]]で表記するからといって、英語の言葉が日本語の体系的な語彙となるわけではありません。よって、「ポピュラーである」「リタイアする」といった表現は日本語版の記事としては不適切なものとなります。また、日本語版の読者はあくまで'''日本語話者'''であって、日本民族そのものではないということを念頭に置かなくてはなりません。したがって、日本人の好みに合うから、という理由で「辞退する」を「リタイアする」、「人気である」を「ポピュラーである」などと書くことは、[[ウィキペディア日本語版]]の原理を逸脱することとなります(特定のカタカナ語そのものが記事題目・解説対象となる場合は例外です)。[[Yahoo!]]などと違い、ウィキペディアは地域・国家・民族による区分を有しません。「日本国版」と「日本語版」の根本的な違いがここにあります。ウィキペディアを分かつのはあくまで言語であり、そこにおける記事の完成度を図る上では、まず民族的な性向に対し中立的となって(それは[[Wikipedia:中立的な観点|ウィキペディアの基本的な編集姿勢]]でもあります)、当の言語体系に即することが必要条件となります。しかし実際の日本語版における編集者人口はほとんど日本人であり、本来的な日本語環境というものは、そこにおいては残念ながら保全されていない、[[特別:新しいページ|新規に立てられる項目]]の内容も、外国語版には存在しない'''日本独自の'''項目ばかり、つまり日本語版だけで孤立しているのが現状です。</ref>。
 
=== 中立的な観点 ===
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=== 関心の偏在 ===
{{seealso|ウィキペディア日本語版#スラッシュドット現象|Wikipedia:日本中心にならないように}}
'''[[ウィキペディア日本語版]]'''の記事数、内容は分野によって偏りがあります。例えば[[アニメ]]や[[日本の漫画|漫画]]や[[ゲームソフト]]、[[テレビドラマ]]については、タイトルや作品ごとに、読んだり観たりしなくとも項目を見るだけで概要は分かってしまうまでに内容が詳記され<ref>『[[ドラえもん]]』は連載開始からアニメ化され現在に至るまでの、『[[渡る世間は鬼ばかり]]』は開始から完結まで、全ての内容が記述されています。主役キャラクターの性格や人物が書かれたものさえあります</ref>、[[日本の鉄道]]や[[情報科学]]の雑学・豆知識<ref>[[JR]]の全駅、[[国鉄・JRの車両形式の一覧|車両]]、[[:Category:携帯電話端末|携帯電話端末]]全てについて項目が存在します。</ref>、果ては[[兵器]]・[[声優]]・[[競走馬]]についても概念ばかりか個別の記事まであるのに、芸術・歴史・文学・映画・スポーツ・地理・電気電子工学・物理学・原子力・経済学・金融・医学などの分野では、定義さえ存在しないもの(書かれていない)、[[Wikipedia:スタブ|スタブ]]程度、また[[Wikipedia:Bot|Bot]]が作った記事しかないケースが多数を占めます<ref>これが外国になると、英語版では海外に関する項目、フランス語版では自国文化に関する項目で編集回数が多いことが確認されています。2012年には[[:Category:AKB48|AKB48関連]]と[[AV女優]]個々人の記事が日本語版の上位を占めたことが判明しました</ref>。[[ONE PIECEの登場人物一覧]]<ref>[[ONE PIECEの登場人物一覧]]は2006年1月から2009年9月まで、過去ログも含めて少なくとも6000回以上編集されています。</ref>や[[日本]]<ref>[[日本]]は2002年9月から2009年9月まで、過去ログも含めて少なくとも3500回以上編集されています。</ref>、[[東北地方太平洋沖地震]]<ref>[[東北地方太平洋沖地震]]は発生当日から当月末まで、1400回以上編集されています。</ref>及び[[東日本大震災]]、[[熊本地震 (2016年)|2016年の熊本地震]]<ref>[[熊本地震 (2016年)]]は発生当日から1週間で1000回以上編集されています。</ref>のような関心を呼ぶ記事はよく編集されますが、そうでないトピック([[バッティングピッチャー]]や[[エチオピアの大統領一覧]]、[[日本の上代文学史]]など)については誰も目も向けないか、非常に見つけづらくなっています。
 
作品や事例のリストが際限なく長大化していき、内容を説明する本文の数倍以上になっていることがあります。また、そのような場合、編集内容のチェックが不十分で、不適切な作品や事例が挙げられていたり、それらに付随した解説が不適切なことがあります。リストを絞ろうとする作業は、しばしば[[Wikipedia:編集合戦|編集合戦]]を引き起こし、少数の典型的あるいは有名な例を示そうとしても、“その[[Wikipedia:出典を明記する|出典]]があり、[[Wikipedia:中立的な観点|中立的な観点]]に立ち、[[Wikipedia:独自研究は載せない|独自研究ではない]]”ものを選ぼうとすると、困難であるため、整理されないまま放置されます。
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これらは'''執筆者の偏り、不足によるものです。'''執筆者の不足の原因には記事を執筆できる人間の不足とウィキペディアに習熟することの難しさが挙げられます。
 
まずウィキペディアには、荒らしや虚偽の記事を書く者・[[Wikipedia:荒らし|荒らす]]者がかなりいてもる一方、正しい記事にする執筆者不足しています。どんな分野でも詳しい人、経験を持つ人というのは少数派になります。その中でウィキペディアに関わる人は更に少なくなるわけです。特に学問のマニアックな領域や日本に関わりの少ない分野ともなると日本国内に研究者が存在せず、知識を持つ人間すらほとんどいない場合もあります。そういった分野には執筆が可能な人間はほとんどいません。他方、アニメやゲームといった分野には多くのファンが存在します。
 
また、ウィキペディアに習熟するのは難しいことです。ウィキペディアの執筆を行うには、まず[[ウィキ]]の文法を身に着ける必要があります。ウィキというものはパソコンに慣れない人間にはとっつき難いものです。よく「ウィキって略すな」といいますが、要は知名度がれだけ知られていないの程度という事です。この点、[[おたく]]は[[パソコン]]の扱いに長じた人間が多いことから、ウィキの操作を容易に理解できる彼らは優位な立場にあります。アニメファンには[[ウィキ]]を使って情報をまとめる文化([[まとめサイト]]の一つ、いわゆる「まとめWiki」)が存在することも彼らに有利に働くでしょう。
 
ウィキペディアを執筆するためにはウィキペディアのルールを理解する必要もあります。匿名のウィキペディアコミュニティーでは重大な失敗を犯し、あるいは戦いに敗れたものはたとえ誰であっても容赦なく排除されます。ビギナー[[ウィキペディアン]]の学者有識者を「先輩」(≒[[ウィキホリック]])の高校生ユーザーが(文字で)罵倒し怒鳴りあげるなんて例はよく見られます。こういう社会の中で生き残っていくのは意外と大変なのです。
 
ここで重要なことは、'''これらの「不真面目な」記事や執筆者を攻撃しても「真面目な」記事は増えないし、ウィキペディアの質の向上にも結びつかない'''という事です。他の分野についてもいえる事ですが、ウィキペディアの質は各分野の執筆者の補充、教育といった「足し算」の策でしか向上しません。「真面目な」記事を充実させたければ、それができる人材を得るしかないのです。広い分野で優秀な執筆者を獲得するために、現在ウィキペディアは[[学会]]との提携や広報活動といった様々な活動を行っています。しかし他の情報発信手段がいくらでもある現在、面倒な決まりごとが多く、記事を仕上げても愚か者の上書きを受けるおそれのあるウィキペディアに、頭のいい人たちが集まってくれるでしょうか?
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== 共同作業・コミュニティの問題 ==
{{seealso|Wikipedia:合意形成}}
[[Help:ノートページ|記事のノート]]で際限なく議論を続け、肝心の記事の執筆が放置状態になったりしがちです。というのは、[[Wikipedia:腕ずくで解決しようとしない#いつまでも「納得」しない|頑なに自説を主張し反対する]]人が一人でもいる限り、当人の主張を容れて合意を成立させなければ事態が進展しないためです。ウィキペディアは、記述される内容が「'''真実か'''否か」ではなく「[[Wikipedia:検証可能性|検証あるかどう可能]]か」「その文章の存在が'''容認されるか'''否か」によります。また逆に、議論もないまま、あまりに破壊的なヴァンダリズム記事を残す者や出典タグを多く残してページを汚す者もいます。
 
日本語の文法、表記法、漢字の用法、文字組みの方法などに精通している人には、記事の内容を書くよりも間違った日本語の使い方が気になって、これを直すのに忙殺されてしまうでしょう。しかしその修正も他の人(や旧版の執筆者)には 、たとえ一文字であっても気に入られず[[Help:以前の版にページを戻す方法|リバート]]されることがあります<ref name=otaku/>。悪文家の自惚れや自尊心は傷ついてしまいます。