「江本孟紀」の版間の差分

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通算24[[ボーク]]は[[日本プロ野球]]記録。1973年のシーズン10ボークも、2003年に[[広島東洋カープ]]の[[クリス・ブロック]]に抜かれるまで日本記録であった。なお、この記録が生まれた原因として、{{by|1973年}}から{{by|1974年}}までの2年間、パ・リーグの関西所属の審判が、一時静止違反を極端に厳しく判定したことが背景にあると指摘されている<ref>[[宇佐美徹也]]『プロ野球記録大鑑』 ([[講談社]]、1993年)931-932頁</ref>。
 
[[王貞治]]が現役時代に苦手としていた投手であり、通算対戦打率は約1割.134と、50打席以上の対戦がある投手の中では1位。被本塁打はわずかに13<ref>[https://dot.asahi.com/dot/2019030800011.html?page=3 敬遠で王貞治との対戦を選択… 江本孟紀、「一世一代の大博打」の結果は?]</ref>。これは満塁本塁打で、いつもと違う攻めを試した結果であったという(自著『おれ、紆球曲球』)。
 
球速は高校時代は150[[キロメートル毎時|km/h]]を超えていたと自称するが、プロ入り後すぐに速球派から技巧派へ転向、コントロール中心型のピッチャーであった(自著『プロ野球を20倍楽しむ方法』)。しかし変化球を多数種類おぼえるタイプではなく、同じカーブ・フォークでも幾種類かのカーブ、フォークを使い分けるというピッチングをしていた。変化球に関しては「エモ・ボール(魔球)はフォークのスッポ抜け」(前著)、「フォークボールは高校時代から得意にしていた」「エモ・ボールは一種の都市伝説のようなもので、実際には投げていない」(自著『プロ野球 勝てる監督・使える選手』)、「ストレートとカーブしか投げられなかった」([[近藤唯之]]『引退そのドラマ』)といった具合に、微妙に発言の内容を変えている。