「ジャンヌ・ド・ブルゴーニュ (フィリップ6世王妃)」の版間の差分

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(国旗訂正)
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{{基礎情報 皇族・貴族君主の正配
| 人名 = ジャンヌ・ド・ブルゴーニュ
| 各国語表記 = {{lang|fr|Jeanne de Bourgogne}}
| 家名・爵位正配称号 = フランス王妃
| 画像 = Jeanne de Bourgogne et Jean de Vignay.jpg
| 画像サイズ =
| 画像説明 =
| 在位 = [[1328年]][[4月1日]] - [[1349年]][[12月12日]]
| 続柄 =
| 出生戴冠日 = [[12931328年]][[652428日]]
| 称号 =
| 全名 =
| 身位別称 =
| 出生日 = {{生年月日と年齢|1293|6|24|no}}
| 敬称 =
| 出生日 = [[1293年]][[6月24日]]
| 生地 =
| 死亡日 = [[1348{{死亡]][[1212]]と没年齢|1293|6|24|1349|12|12}}
| 没地 =
| 埋葬 = [[File:Flag of France (XII-XIII).svg|border|25x20px]] [[フランス王国]]、[[サン=ドニ大聖堂]]
| 埋葬日 =  
| 埋葬地 = [[File:Flag of France (XII-XIII).svg|border|25x20px]] [[フランス王国]]、[[サン=ドニ大聖堂]]
| 配偶者1 = [[フランス君主一覧|フランス王]][[フィリップ6世 (フランス王)|フィリップ6世]]
| 続柄結婚 =
| 子女 = [[ジャン2世 (フランス王)|ジャン2世]]<br>マリー<br>ルイ<br>ルイ<br>[[フィリップ・ド・ヴァロワ (オルレアン公)|フィリップ]]<br>ジャンヌ
| 子女 = [[#家族|一覧参照]]
| 家名 = [[ブルゴーニュ家]]
| 父親 = [[ブルゴーニュ公]][[ロベール2世 (ブルゴーニュ公)|ロベール2世]]
| 母親 = アニェス・ド・フランス
| サイン =
}}
'''ジャンヌ・ド・ブルゴーニュ'''(Jeanne({{lang-fr|Jeanne de Bourgogne}}, [[1293年]][[6月24日]] - [[1348年]][[12月12日]])は、[[フランス王国|フランス]][[フランス君主一覧|国]][[フィリップ6世 (フランス王)|フィリップ6世]]の最初の王妃。'''ジャンヌ・ラ・ボワトゥーズ'''(Jeanne({{lang|fr|Jeanne la Boiteuse)Boiteuse}})とも呼ばれる(ボワトゥーズは「[[肢体不自由者|足の不自由な女]]」の意味)。[[ブルゴーニュ公一覧|ブルゴーニュ公]][[ロベール2世 (ブルゴーニュ公)|ロベール2世]]と、フランス王[[ルイ9世 (フランス王)|ルイ9世]]の王女アニェスの次女で、姉[[マルグリット・ド・ブルゴーニュ (フランス王妃)|マルグリット]]は[[ルイ10世 (フランス王)|ルイ10世]]の妃である
 
夫が[[百年戦争]]に従軍している間には摂政を務めた。
 
== 生涯 ==
[[ブルゴーニュ公一覧|ブルゴーニュ公]][[ロベール2世 (ブルゴーニュ公)|ロベール2世]]と、フランス王[[ルイ9世 (フランス王)|ルイ9世]]の王女アニェスの次女で{{sfn|Setton|1975|p=773}}、姉[[マルグリット・ド・ブルゴーニュ (フランス王妃)|マルグリット]]は[[ルイ10世 (フランス王)|ルイ10世]]の妃である{{sfn|Hallam|1980|p=282}}。
1313年6月、ルイ10世のいとこであるフィリップ・ド・ヴァロワ(後のフィリップ6世)と結婚した。フィリップは1315年から1328年まで[[メーヌ]]公で、1325年から[[ヴァロワ]]伯、[[アンジュー]]伯でもあった。
 
2人の間にはジャン(のちの[[ジャン2世 (フランス王)|ジャン2世]])と[[オルレアン公]][[フィリップ・ド・ヴァロワ (オルレアン公)|フィリップ]]らが生まれた。
 
[[フィリップ4世 (フランス王)|フィリップ4世]]の息子であるルイ10世、[[フィリップ5世 (フランス王)|フィリップ5世]]、[[シャルル4世 (フランス王)|シャルル4世]]ら歴代のフランス王は男子がいなかったため、フィリップ・ド・ヴァロワが王位に就いた。
ジャンヌは知的で強い意志の持ち主で、夫が[[百年戦争]]の戦闘で不在時に摂政として采配を振った。
 
1337年、[[百年戦争]]が起こり、イギリスの[[エドワード3世]]がルイ10世の甥であることを理由にフランス王位継承権を主張した。知的で強い意志の持ち主であるジャンヌは、夫が戦争の戦闘で不在時に摂政として采配を振った。しかし、ジャンヌの性格とその権力によってこの夫婦に悪い評判が立ち、噂は足の奇形によって強調され(邪悪の印であると一部で考えられていた)、やがて「{{lang|fr|la male royne boiteuse}}」(足の不自由な王妃)と呼ばれるようになった。
 
ジャンヌは学者肌の女性であり、[[ビブリオフィリア|愛書家]]であると言われていた。
 
1349年12月12日、[[ペスト|黒死病]]で死去し{{sfn|Sumption|1999|p=49}}、[[サン=ドニ大聖堂]]に葬られた。孫の[[シャルル5世 (フランス王)|シャルル5世]]によって建てられた墓は[[フランス革命]]期に破壊された。
 
== 家族 ==
1313年に結婚した[[フィリップ6世 (フランス王)|フィリップ6世]]との間に以下の子女をもうけた。
* [[ジャン2世 (フランス王)|ジャン2世]](1319年 - 1364年) - フランス王
* マリー(1326年 - 1333年) - ブラバン公ジャン3世の子ジャンと結婚
* ルイ(1329年)
* ルイ(1330年)
* [[フィリップ・ド・ヴァロワ (オルレアン公)|フィリップ]](1336年 - 1376年) - オルレアン公
* ジャンヌ(1337年)
 
ジャンヌの死後の1361年、ジャンヌの甥の子ブルゴーニュ公[[フィリップ1世 (ブルゴーニュ公)|フィリップ1世]]が嫡出子なしに死ぬと、[[ブルゴーニュ家]]の男系が断絶した。次のブルゴーニュ公に縁者の中から誰を選ぶかが問題となり、ジャンヌの姉マルグリットの孫にあたるシャルル・デヴルー([[ナバラ王国|ナバラ]]王[[カルロス2世 (ナバラ王)|カルロス2世]])が長系相続者の権利を主張したが、結局ジャンヌの長男ジャンが一時王領にした後、四男[[フィリップ2世 (ブルゴーニュ公)|フィリップ豪胆公]]に与えた。
1348年、[[黒死病]]で死去した。
 
== 脚注 ==
1361年、ジャンヌの甥の子ブルゴーニュ公[[フィリップ1世 (ブルゴーニュ公)|フィリップ1世]]が嫡出子なしに死ぬと、[[ブルゴーニュ家]]の男系が断絶した。次のブルゴーニュ公に縁者の中から誰を選ぶかが問題となり、ジャンヌの姉マルグリットの孫にあたるシャルル・デヴルー([[ナバラ王国|ナバラ]]王[[カルロス2世 (ナバラ王)|カルロス2世]])が長系相続者の権利を主張したが、結局ジャンヌの長男ジャンが一時王領にした後、四男[[フィリップ2世 (ブルゴーニュ公)|フィリップ豪胆公]]に与えた。
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{{DEFAULTSORT:しやんぬ ふるこにゆ}}