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[[499年]](太和23年)、孝文帝の死にあたって、輔政を遺託され、[[司空]]となった。[[501年]]([[景明]]2年)、[[宣武帝]]が親政を開始すると、元詳は侍中・[[大将軍]]・録尚書事となった。兄の咸陽王[[元禧]]が反乱を計画して敗死すると、元詳は自らの任を解くよう願い出た。宣武帝はこれを許さず、かえって[[太傅]]・領[[司徒]]に任じた。[[502年]](景明3年)、宣武帝が閲兵のために[[ギョウ|鄴]]に赴くと、元詳は[[高肇]]や[[于勁]]らとともに[[洛陽]]の留守を預かった。
 
元詳は宣武帝の叔父として顕位に上り、収賄や商売によって巨万の富を蓄え、宏壮な邸宅を営んでいた。妃の劉氏を相手にせず、妾の范氏を寵愛した。范氏が亡くなると、上表して平昌県君の位を贈った。また安定王[[元燮]]の妃の高氏(宣武帝の叔母)と私通した。
 
[[504年]]([[正始 (北魏)|正始]]元年)5月、元詳は[[茹皓]]らとともに反乱を計画していたと[[高肇]]に誣告され、庶人に落とされて、太府寺に幽閉された。6月13日夜、数度の悲鳴とともに不審な突然死を遂げた。