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指定山崎 (会話 | 投稿記録)
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[[1870年]](明治3年)、[[庚午事変]]の首謀者数名が[[徳島県]][[徳島市]][[住吉 (徳島市)|住吉]]の[[蓮花寺 (徳島市)|蓮花寺]](1丁目)にて切腹したのが、日本の法制史上最後の切腹の事例となっている。
 
死刑執行方法としての切腹は[[1873年]]([[明治]]6年)に廃止され、以後、[[日本における死刑]]では[[絞首刑]]が用いられているが、切腹を[[自殺の方法]]として用いる例は、明治時代以降も軍人等の間に見られ、切腹を名誉ある自決とする思想は残った。<!--[[明治維新]]によって武士がいなくなっても、[[戦陣訓]]の本訓其ノ二 第八「名ヲ惜シム」にある「恥ヲ知ル者ハ強シ。常ニ郷党家門ノ面目ヲ思ヒ、愈々奮励シテ其ノ期待ニ答フベシ。生キテ虜囚ノ辱ヲ受ケズ、死シテ罪禍ノ汚名ヲ残スコト勿レ」などの思想が、捕虜よりも切腹など自害を選ぶように決められた。-->
 
旧[[日本軍]]においては一部の将校の自決に行われ、[[明治天皇]]に殉じた[[乃木希典]]陸軍大将、[[大西瀧治郎]]海軍中将、[[鈴木貫太郎]]内閣の陸軍大臣であった[[阿南惟幾]]陸軍大将などがある。現代の事象としては、[[1945年]]([[昭和]]20年)[[8月25日]]に、東京都内の[[代々木公園|旧・代々木練兵場(現・代々木公園)]]で、「[[大東塾]]十四士」が古式に則り集団割腹自殺をした事件や、[[1970年]](昭和45年)[[11月25日]]に作家・[[三島由紀夫]]が[[陸上自衛隊]][[市ヶ谷駐屯地]]内で演説を行ったのち割腹自殺した事件([[三島事件]])などがある。