「梅原克彦」の版間の差分

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アジア塾SENDAI及び中心金融管理学院の経歴を追記。
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大学入学前年の[[1972年]]([[昭和]]47年)に[[日中国交正常化]]が実現、その影響を受けた梅原は学生時代、第二外国語として[[中国語]]を学んだ。教材は共産党の指導文書であり、[[マルクス・レーニン主義]]や[[文化大革命]]に関する読書も多かったが、梅原には現在でも中国人の友人との交流があるという<ref name="a">市民の生活と安全のために 中国資本進出を拒否した仙台市長梅原克彦氏の「英断」「わが故郷に中華街は作らせない」( [[SAPIO]][http://news.nifty.com/cs/magazine/detail/sapio-20080912-01/1.htm 2008年8月20日・9月3日号] )</ref>。また、中国については官僚時代、[[アジア太平洋経済協力|APEC]]や[[ASEAN+3]]などにおいて、厳しい外交交渉を行った経験を持つ<ref name="a"/>。
 
[[2005年]](平成17年)、前職の仙台市長・[[藤井黎]]の引退に伴う仙台市長選挙に[[仙台市地下鉄東西線]]の建設推進を公約に掲げて立候補し当選、仙台市長に就任した。しかし、市長就任後8ヶ月間に行った5回の海外出張(うち3回に夫人同伴)が問題にされたほか、[[2008年]](平成20年)[[5月]]には、選挙[[公約]]に従って実施した同市青葉区・片平丁小学校校庭の[[緑化]]が完成したものの<ref>『仙台・片平丁小の校庭芝生化 市内では初』(河北新報 [[2008年]][[5月2日]])、『転んでもふかふか 片平丁小の校庭芝生化完成』(河北新報2008年[[9月2日]])</ref>、その費用や維持費が当初見積もりよりも高額となったことなどが批判された<ref>青葉区の片平町小学校。総工費見込み2,300万円に対して2,500万円、9-1月の維持費見込み160万円に対して310万円など。また、その維持には児童やPTAの協力を要することが判明した</ref>。また、[[2009年]](平成21年)[[1月]]には、梅原の私邸の引越しの際に[[勤務時間]]内の仙台市職員を手伝わせていたことや<ref>2009年1月21日「[[仙台放送スーパーニュース]]」で紹介</ref>、自宅に持ち帰っていた文書の新居への移送に公用車を使用していたことなどが取り上げられた<ref>『公用車で転居「公私混同ない」強調 梅原仙台市長』(河北新報 2009年1月21日)</ref>。
 
[[2009年]](平成21年)7月告示の仙台市長選挙に出馬する意向を示していたが、後述のタクシーチケット問題を受け出馬を断念した。同選挙には梅原の抜擢によって2007年から仙台市副市長を務めたのち辞職した[[奥山恵美子]]や、同じく仙台市副市長で[[医師]]の[[岩崎恵美子]]ら、新人6人が立候補した。16日、[[尿管結石]]による緊急入院から公務復帰した梅原は、岩崎への支持を表明<ref>『NNNリアルタイムみやぎ』2009年7月16日放送「今日から公務復帰 梅原市長が岩崎副市長支持表明」</ref>、「梅原市政の継承」を訴えていた岩崎もこれを歓迎した。この選挙では、多くの仙台市議会議員や、[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]、[[社会民主党 (日本 1996-)|社民党]]などの支援を受けた奥山が当選して仙台市長に就任、岩崎は次点であった。
 
引退後の梅原は、元[[航空幕僚長]]・[[田母神俊雄]]の政治団体「[[頑張れ日本!全国行動委員会]]」に加入し、民間人の立場から東京都内を中心にデモ行進や演説会などを催す政治活動を行っている<ref>{{Cite web |title=活動報告 平成23年前期 |url=http://www.ganbare-nippon.net/23_1.html |accessdate=2017/12/03 |publisher=[[頑張れ日本!全国行動委員会]]}}</ref>。[[2012年]](平成24年)に[[国際教養大学]]東アジア調査研究センター教授に就任
 
[[2016年]](平成28年)に[[国際教養大学]]教授在任中に「アジア塾SENDAI」を立ち上げ、[[北朝鮮による拉致被害者家族連絡会]]会長の[[飯塚繁雄]]等を講師として招請し勉強会を主宰した<ref>[https://www.youtube.com/watch?v=lpCY0TtLRIM アジア塾SENDAI~開講のご案内~]YouTube</ref>。
 
2017年(平成29年)2月11日、同年7月告示の[[2017年仙台市長選挙|仙台市長選挙]]への出馬を検討していることを公表した<ref>{{Cite web | url = http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201702/20170212_11032.html| title = 〈仙台市長選〉梅原氏が出馬検討| publisher = 河北新報| date = 2017-02-12| accessdate = 2017-02-12}}</ref>。引退後の梅原は仙台市政から遠ざかっていたが、2016年(平成28年)には7年振りに仙台市制施行記念式に出席し、国際問題に関する勉強会を開催するなど仙台市内での活動を活発化させていた<ref>{{Cite web | url = http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201607/20160705_11037.html| title = 来夏市長選への布石?仙台市式典に梅原前市長| publisher = 河北新報| date = 2016-07-05| accessdate = 2017-02-12}}</ref><ref>{{Cite web | url = http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201702/20170208_11033.html| title = 〈仙台市長選〉前市長の梅原氏出馬に意欲?| publisher = 河北新報| date = 2017-02-08| accessdate = 2017-02-12}}</ref>。しかし、6月6日に保守系候補者の一本化を理由に立候補を辞退することを表明した<ref>{{Cite web | url = http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201706/20170607_11039.html| title = 〈仙台市長選〉梅原氏が立候補断念| publisher = 河北新報| date = 2017-06-07| accessdate = 2017-06-07}}</ref>。
 
その後[[2017年]](平成29年)3月末日をもって[[国際教養大学]]教授を退任し、[[2018年]](平成30年)より[[中信金融管理学院]](CTBC BUSINESS SCHOOL)教授に就任した。
 
== 仙台市長 ==
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* 2017年(平成29年)3月末 - 国際教養大学の教授を退任<ref>{{Cite web |title=
梅原前仙台市長「立候補を真剣に検討」 |url=http://ox-tv.jp/nc/smp/article.aspx?d=20170424&no=16 |date=2017/04/24 |accessdate=2017/12/03 |publisher=[[仙台放送]]}}</ref>
* 2018年(平成30年) - [[中信金融管理学院]]教授に就任<ref>{{Cite web |title=
梅原克彥教授- 中信金融管理學院-師資介紹 |url=https://faculty.ctbc.edu.tw/梅原克彥-教授/ |accessdate=2019/3/20 |publisher=[[中信金融管理学院]]}}</ref>
 
== 脚注 ==