「カヴァリエーレ・ダルピーノ」の版間の差分

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{{競走馬
{{Hidden|血統表|
|名 = カヴァリエーレ・ダルピーノ
|画 =
|英 =
|性 = [[牡馬|牡]]
|色 = [[鹿毛]]
|種 = [[サラブレッド]]
|生 = [[1926年]]
|死 = [[1941年]]
|父 = [[アヴレサック|Havresac]]
|母 = Chuette
|産 = [[フェデリコ・テシオ]]
|国 = {{ITA}}
|主 = フェデリコ・テシオ
|調 = フェデリコ・テシオ([[イタリア]])
|績 = 5戦5勝
|金 =
}}
'''カヴァリエーレ・ダルピーノ''' (''Cavaliere d'Arpino'') は、[[20世紀]]前半に活躍した[[イタリア]]の[[競走馬]]・[[種牡馬]]である。馬名は[[17世紀]]のイタリアの[[画家]]、{{仮リンク|ジュゼッペ・チェーザリ|en|Giuseppe Cesari}}の通称「カヴァリエール・ダルピーノ (Cavalier d'Arpino) 」(アルピーノの騎士)よりとられている。
 
[[1929年]]から1930年にかけて走り、[[ミラノ大賞典]]、アンブロシアーノ賞、[[イタリア共和国大統領賞|オムニウム賞]](いずれも[[1930年]])など5戦5勝。種牡馬としても[[1941年]]にイタリア首位種牡馬となった。
 
主な産駒に、[[ベッリーニ (競走馬)|ベッリーニ]]Bellini([[デルビーイタリアーノ|イタリアダービー]]、イタリアセントレジャー、[[ジョッキークラブ大賞 (イタリア)|イタリアジョッキークラブ大賞]])、トラゲットTraghetto(イタリア首位種牡馬、イタリアダービー)、ウルソーネUrsone(イタリアセントレジャー、イタリアジョッキークラブ大賞)、プロクレProcle([[バーデン大賞]])、パッラデPallade(イタリアオークス)がいる。生前の[[フェデリコ・テシオ]]は、この馬を自身が生産した最良の馬と評価していた。[[1941年]]死亡。
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{{Hidden|==血統表|==
{{競走馬血統表
|name = カヴァリエーレ・ダルピーノ
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|f = [[アヴレサック|Havresac]]<br />1915 黒鹿
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{{競走馬
|名 = カヴァリエーレ・ダルピーノ
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|生 = [[1926年]]
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|主 = フェデリコ・テシオ
|調 = フェデリコ・テシオ([[イタリア]])
|績 = 5戦5勝
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'''カヴァリエーレ・ダルピーノ''' (''Cavaliere d'Arpino'') は、[[20世紀]]前半に活躍した[[イタリア]]の[[競走馬]]・[[種牡馬]]である。馬名は[[17世紀]]のイタリアの[[画家]]、{{仮リンク|ジュゼッペ・チェーザリ|en|Giuseppe Cesari}}の通称「カヴァリエール・ダルピーノ (Cavalier d'Arpino) 」(アルピーノの騎士)よりとられている。
 
[[1929年]]から1930年にかけて走り、[[ミラノ大賞典]]、アンブロシアーノ賞、[[イタリア共和国大統領賞|オムニウム賞]](いずれも[[1930年]])など5戦5勝。種牡馬としても[[1941年]]にイタリア首位種牡馬となった。
 
主な産駒に、[[ベッリーニ (競走馬)|ベッリーニ]]Bellini([[デルビーイタリアーノ|イタリアダービー]]、イタリアセントレジャー、[[ジョッキークラブ大賞 (イタリア)|イタリアジョッキークラブ大賞]])、トラゲットTraghetto(イタリア首位種牡馬、イタリアダービー)、ウルソーネUrsone(イタリアセントレジャー、イタリアジョッキークラブ大賞)、プロクレProcle([[バーデン大賞]])、パッラデPallade(イタリアオークス)がいる。生前の[[フェデリコ・テシオ]]は、この馬を自身が生産した最良の馬と評価していた。[[1941年]]死亡。
 
== 参考文献 ==
535

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