「カール・ヤストレムスキー」の版間の差分

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|所属球団 =
|背番号 =
|選手写真ファイル名 = YazCarl SigningYastrzemski autographs CROP1976.jpg
|写真サイズ = 280230
|写真のコメント = ファンのサインに応じるヤストレムスキー(20081976
|国籍 = {{USA}}
|出身地 = [[ニューヨーク州]][[サウサンプトン]]
== 経歴 ==
=== プロ入り前 ===
[[ニューヨーク州]][[サウザンプトン (ニューヨーク州)|サウザンプトン]]にて[[ポーランド]]系の家庭に生まれる。愛称「Yaz」の名で親しまれた。子供少年時代は当然地元ように[[ニューヨーク・ヤンキース]]ファンで、ヤンキースでプレイする事を夢見ていたという
 
=== 現役時代 ===
スター選手が並ぶヤンキースでは出場機会も少ないのではないかと考えるほか、ヤンキースのクラブハウスに招かれた時に相手にされなかった一幕もあり、ライバルであるボストン・レッドソックスへ入団した。
 
{{by|1961年}}に[[左翼手]]としてメジャーリーグデビュー初出場を果たす。このポジションは前年引退た大先輩である[[テッド・ウィリアムズ]]が守っていたポジションだった。
 
{{by|1963年}}に[[打率]].321で首位打者。[[1967年]]には打率.326、44[[本塁打]]、121[[打点]]で三冠王を獲得。
 
=== 引退後 ===
{{by|1989年}}に有資格1年目で[[アメリカ野球殿堂]]入り。現役時代に変わらずつけていた[[野球File:RedSox_8.png|right|thumb|150px|ヤストレムスキーの背番号|背番号]]'''8'''」。<br/>ボストン・レッドソックスの[[野球界メジャーリーグベースボールの永久欠番|永久欠番]]となっているに[[1989年]]指定]]
[[File:Yaz Signing autographs.jpg|right|thumb|300px|フェンウェイ・パークにてサインに応じるヤストレムスキー (2008年)]]
{{by|1989年}}に有資格1年目で[[アメリカ野球殿堂]]入り。同年[[8月6日]]、殿堂入りを記念してヤストレムスキーの[[野球の背番号|背番号]]『'''8'''』はレッドソックスの[[メジャーリーグベースボールの永久欠番|永久欠番]]に指定された。
 
{{by|2012年}}、[[デトロイト・タイガース]]の[[ミゲル・カブレラ]]が45年ぶりに三冠王を達成し、カブレラについて「チームを地区優勝に導く中で達成したことを祝福したい。私もリーグ優勝したレッドソックスの一員として達成できて、幸せだった」と話し、祝福した。
 
== 選手としての特徴 ==
40歳を越えても懸命なトレーニングを行うなどして、現役生活は[[1983年]]まで、実働23年に及んだ。[[MLBオールスターゲーム|オールスター]]出場18回を記録。左翼手としての守備も高く評価され、[[ゴールドグラブ賞]]にも7回選出されている。通算成績は3308試合出場(史上2位、ただしアメリカン・リーグでは史上1位)、3419安打(史上6位)、452本塁打、1844打点、打率.285、1845[[四球]](史上6位)。引退した1983年当時では、アメリカン・リーグの在籍のみで3000本安打と400本塁打を記録した唯一の選手となる(2017年現在では[[カル・リプケン]]と[[アレックス・ロドリゲス]]もこの記録を達成している)。通算安打数のベスト10の選手の中で、1シーズン200安打を1度も達成したことがないのは彼のみである。
 
== 詳細情報 ==
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