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元の文だと軌間が広くなっただけで性能向上したみたいなので補足
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[[カナダ]]では、[[1851年]]に5フィート6インチを標準とする法律が制定された<ref name="Puffert_122"/>が、1870年に廃止され、アメリカ合衆国との直通の必要から4フィート8.5インチに改軌された<ref name="Hayashi_449"/><ref name="Puffert_140-142"/>。
 
[[英領インド]]では、最初のカルカッタ周辺は4フィート8.5インチ軌間で始まったが、1851年以降[[ジェイムズ・ラムゼイ (初代ダルハウジー侯爵)|ダルハウジー侯爵ジェイムズ・ラムゼイ]][[インドの総督|総督]]により5フィート6インチ軌間が標準とされた。ダルハウジーはイギリスの経験から最初に軌間などの規格を統一しておくことが重要であると考えていたが、インドはイギリス本土と直通するわけではないので独自に最良を選ぶべきだとして4フィート8.5インチがイギリスで統一されたのは「あくまで一地方の状況から偶然できたもので鉄道のベストとは限らない」としたが、ブルネルの7フィート1/4インチも大きすぎると考えたのか「この間に最良のものがある」と自身は6フィートを主張した(連続急勾配対策やハリケーン対策などの意味があったとも言われる)が4フィート8.5インチ組と話し合った結果5フィート6インチでまとまった<ref name="Tada_519-520"/><ref name="Puffert_193-194"/><ref name="広軌をどう見たか"/>。
 
[[オーストラリア]]では後の各州に相当する各植民地が独自に鉄道建設を行なった結果、最初(1850年)のサウスオーストラリア州は4フィート8.5インチ、次(1852年)にニューサウスウェールズ州はアイルランド式の5フィート3インチでビクトリア州と前述のサウスオーストラリア州もこれに合わせ改軌。しかしニューサウスウェールズの技師長がアイルランド人からスコットランド人に変わると今度は4フィート8.5インチになる(ビクトリア・サウスオーストラリアは変更せず)など混乱が続き、1870年代の狭軌ブームの時代もあって1067mmの州も加わるなど、州ごとにゲージが分断されたまま発展が続いて現在に至っている<ref name="Puffert_203-205"/><ref name="広軌をどう見たか"/>。
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[[20世紀]]に入ってからは、新たに鉄道の軌間を選択する機会そのものが稀になったこともあり、軌間の優劣に関する議論は低調になった<ref name="Puffert_30"/>。20世紀初めごろには[[日本]]([[日本の改軌論争]])や[[南アフリカ]]、[[オーストラリア]]、[[アメリカ合衆国]]などで、狭軌鉄道を標準軌に<ref group="注釈">日本や南アフリカ、オーストラリアなど</ref>、あるいは標準軌を広軌に<ref group="注釈">アメリカ合衆国やカナダなど</ref>[[改軌]]すべきであるという議論が起こったが、オーストラリアのいくつかの狭軌鉄道が標準軌に改軌された例を除いて、いずれも実現には至っていない<ref name="Puffert_31"/>。[[ナチス・ドイツ]]では軌間3000mmの超広軌鉄道「[[ブライトシュプールバーン]]」が計画されていた<ref name="Puffert_182"/>。
 
20世紀後半以降に新たに建設された鉄道では、標準軌が採用される例が多い。日本の[[新幹線]]や多数の製鉄所構内鉄道が、狭軌の[[在来線]]網とは独立した形で標準軌を選んだのがその最たるものである。またアフリカ各国やブラジル、オーストラリアでは、従来の狭軌鉄道とは別に、鉱山用や通勤用に標準軌で鉄道を新設した例がある。逆にスペインなどは在来線は広軌だが、高速列車の[[AVE]]はフランスなどとの接続を考えて、また通勤用の鉄道は車両限界をなるべく小さくして建設費用や車両新製費用を抑えるために、いずれも狭い標準軌で施設されている。こうした選択は、既に存在する技術を活用でき、車両や資材の調達もしやすいことによるものである<ref name="Puffert_32"/>。
 
== 軌間の広狭による性質 ==
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このため、重心の高さが同じであれば広軌のほうが横方向の力に対してより安全であるといえる。特に列車の速度が速くなるほどこうした力の影響は大きくなるため、高速運転には軌間の広いほうが適している。狭軌の場合は、横方向の力の発生を防ぐためより精度の高い[[保線]]作業が必要となる。また同程度の安定性を求めるのであれば、軌間の広いほうが重心を高くすることができ、大型の車両を用いることができる<ref name="Puffert_22-23"/>。
 
[[1850年代]]に[[インド]]の鉄道で広軌が採用された理由のひとつとして、軌間が広いほうが[[サイクロン]]などの強風に対して安全であるということが挙げられている<ref name="Wolmar_88"/><ref name="広軌をどう見たか"/>。また[[1973年]]に[[アメリカ合衆国]][[カリフォルニア州]]の[[サンフランシスコ・ベイエリア]]で開業した[[バート (鉄道)|BART]]でも、湾岸地域での横風に対する安定性を考慮して1676mm軌間とコンクリート道床の組み合わせを採用した<ref name="Oka_53-54"/>。
 
=== 機関車の性能 ===
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1830年代から40年代初頭まで、蒸気機関車の[[シリンダー]]は車輪の内側に取り付けられていた。これは、シリンダーを外側にすると蒸気が空気で冷やされて効率が落ちると考えられたこと、また機関車の車体に左右交互に力が加わるため、当時の技術ではこれに耐えられるような[[台枠]]が作れなかったことによるものである。このため、シリンダーの大きさは軌間に大きな影響を受けた。加えて、この時代の[[弁装置]]は大きく、頻繁な保守作業を必要とした。これも車輪の内側におかれたため、狭い軌間はメンテナンスが困難であるとして嫌われることになった<ref name="Puffert_20-21"/>。これ以外にもシリンダーから動輪の軸に力を伝えるクランク部分が広軌の方が広くとれるので摩耗や強度的に有利orクランクが同じ幅ならより外側にずらすことでボイラー下部と干渉しにくくなり、ボイラー高さを抑えられたり太いボイラーが使えるというメリットもあった<ref>[[#齋藤2007|齋藤(2007) p.65]]</ref>。
 
ただし、1840年代半ば以降になると、車体の製造技術の向上などにより外側シリンダーの蒸気機関車が製造可能になり、シリンダーの大きさが軌間に制約されることはなくなった<ref name="Puffert_20-21"/>。むしろ外側シリンダーでは車両限界や特にボイラーの太さが同一ならば広軌の方がシリンダーをより外側につけるため、シリンダーの大きさを妨げる原因になり<ref>[[#齋藤2007|齋藤(2007) p.307]]</ref>、[[イギリス]]の軌間問題に関する王立調査委員会は、[[1845年]]の報告で7フィート軌間のほうが4フィート8.5インチ軌間より機関車の性能が優れていることは認めつつ、その差は僅かであると指摘している<ref name="Aoki2008_45-47"/>。
 
一方で、軌間の広いほうが高い重心が許容されるため、{{仮リンク|火室 (蒸気機関)|en|Firebox (steam engine)|label=火室}}や[[ボイラー]]を大型化し、出力を向上させることができる<ref name="Puffert_20-21"/>。19世紀半ばまでは低い[[蒸気圧]]しか使えなかったため、この点は大きな差にはならなかった。しかし使用蒸気圧の増した19世紀末から20世紀であれば、軌間と蒸気機関車の性能にはより強い関係があった<ref name="Aoki2008_45-47"/>。[[20世紀]]初頭の段階では、狭軌の蒸気機関車は標準軌の半分程度の性能しか出せないとされていた<ref name="Puffert_20-21"/>。
[[1912年]]に[[日本]]で行われた実験では、国鉄の2120形と呼ばれたタンク機関車のグループのうち[[国鉄2100形蒸気機関車#広軌化試験改造車|2323号機]]を広軌化(1067mm→1435mm)して、左右車輪の間に空間ができたのを利用して火室の幅を広げた所、牽引能力が上昇して1067mm時には10‰勾配上で250tの列車を引けたものが1435mm時には350tまで牽引可能になった<ref name="Fukuda_104"/><ref>[[#朝倉1979/11|(朝倉1979/11)p.103]]</ref>。1920年代の[[アメリカ合衆国]]では、標準軌でも不十分であり、6フィート(1829mm)などの広軌に改軌したほうがより高性能の機関車を設計できるという主張があった<ref name="Puffert_20-21"/><ref group="注釈">6フィート(1829㎜)(1829mm)案以外にも、5フィート6インチ(1676㎜)(1676mm)や7フィート0.25インチ(2140㎜)(2140mm)など各種の意見があった。</ref>。
 
ただし、蒸気機関車でも[[従輪]]で火室を受ければ軌間を超える幅の広い火室を重心を上げずに採用できるし、ボイラーも[[ガーラット式機関車]]のようにボイラーの前後に走り装置をつけて支える形式にすれば、動輪に邪魔されずナローでも太いボイラーを使う<ref group="注釈">例として東アフリカ鉄道[[:en:EAR 59 class|59形]]は軌間1000㎜に対しボイラーの最大直径が2284㎜もある、動輪径も1372mmで貨物用機関車としては決して小さくはない。</ref>ことは可能である。
 
一方、[[電動機]](モーター)を動力源とする電車や電気機関車(電気式動力伝達の内燃機関動力車も含む)の場合は、通常動輪のすぐ横でモーターを軸と平行に置くので車輪直径で上下方向、軌間で左右方向の大きさに制約が生じる<ref group="注釈">この比率は軌間に正比例せず、1435mmと1067mmでは軌間は約4:3ぐらいだがモーターの幅スペースは3:2ぐらいになる。</ref>。この影響は電車より電気機関車、電気機関車より電気式動力伝達の内燃機関動力車の方が大きい。<br>このためモーターの大型化・車輪直径を抑える・狭軌の3つはすべて満たすことが難しくなり、日本の例では明治の末に国鉄が山手線で初めて電車を運行したころはモーターが50馬力だったので車輪径が客車や貨車と同じ大きさでもさほど問題はなかったが、大正3年に京浜間に100馬力の大型モーターの電車を走らせることになった際、このサイズの車輪ではモーターの下端とレール上面の隙間が構造規定を下回ってしまうため車輪径を大きくして910mmの車輪を採用し、以後これが電車の標準になったことがある<ref>[[#朝倉1979/6|(朝倉1979/6)p.81]]</ref>。私鉄でも箱根登山鉄道は急勾配を理由に標準軌を採用している<ref group="注釈">詳しくは[[箱根登山鉄道鉄道線#小田急が箱根湯本へ乗り入れ|箱根登山鉄道鉄道線]]参照。</ref>。
<br>逆に路面電車など床高さを抑えるため車輪が小さくならざるを得ない車両では、狭軌になるとモーターを収める空間に余裕がなくなるため、モーターの位置を変え[[直角カルダン駆動方式]]や[[車体装架カルダン駆動方式]]などを採用したり、逆に路面電車に多い急カーブや狭小建築限界に不利とわかっていても軌道施設時に標準軌を選択する場合がある。
 
なお、[[内燃機関]]を機械式もしくは液体式で動力伝達をする車両の場合は、元々エンジンが車輪の間と無関係の位置にあるので軌間と出力の間に直接的な関係はほとんどない。但し内燃機関は電動機に比べて小型化が難しく、重心が高くなりがちであり、この点が蒸気機関車に似ている
 
=== 車両の搭載能力 ===