「広橋兼勝」の版間の差分

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}}'''広橋 兼勝'''(ひろはし かねかつ)は、[[安土桃山時代]]、[[江戸時代]]初期の[[公家]]、[[歌人]]。[[藤原北家]][[日野家|日野流]]。兄が本家筋の[[日野家]]を継いだことで兼勝が[[広橋家]]の[[嫡子]](跡取り)となった。号は後是称院。一字名は貢。法名は快寂。官位は[[従一位]]・[[内大臣]]。[[勧修寺光豊]]とともに[[江戸幕府]]初代の[[武家伝奏]](慶長8年([[1603年]]) - 元和5年([[1619年]]))。
 
== 経歴 ==
慶長8年([[1603年]])、[[徳川家康]]に[[征夷大将軍]]の内示を与えた。[[大坂の陣#大坂冬の陣|大坂冬の陣]]でも両軍の和睦を尽力する。[[武家伝奏]]として[[朝廷]]と幕府の融和に努め、「出頭無双」といわれその権勢は大きかったが、幕府に譲歩も強いられ「奸佞の残賊」と罵られる存在でもあったという。 また1609年には、[[猪熊事件]]に関与した娘の広橋局が、伊豆[[新島]]に配流されている。
 
== 登場作品 ==
*[[葵 徳川三代]]([[2000年]]、[[NHK大河ドラマ]]、演 : [[石橋雅史]])
 
== 関連項目 ==