「仁川上陸作戦」の版間の差分

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== 情報収集 ==
上陸作戦開始前に、韓国軍、アメリカ軍共に、仁川地区の島嶼に諜報部隊を送り込み、情報収集を行った。仁川上陸作戦を期待していた[[李承晩]]ら大韓民国の首脳は諜報部隊を送り込む事を決め、仁川の南南西約22キロメートルの{{仮リンク|霊興島|ko|영흥도|label=霊興島(ヨンフンド)}}に韓国海軍本部情報局長咸明沙少佐が派遣された。士官、下士官、兵等17名で構成された諜報部隊は、アメリカ軍が作戦実施しやすいように「有利な形の情報」を報告するように求められた。8月23日、一行は霊興島に到着すると地元住民で義勇隊を組織して勢を整えるとともに、民間人に偽装して海路、仁川に自由に出入りし、北朝鮮軍の兵力、機雷の配置状況、岸壁の高さなどを調査した<ref name="児島 1984 p.261-263">{{Harvnb | 児島襄 | 1984 | p= 261-263}}</ref>。
 
マッカーサー等は韓国軍が差配して送ってくる「有利な情報」に歓喜したが、この情報を「白人種の眼」で再確認する必要性を感じ、自軍からも要員を送り込むことになった<ref name="トーランド 1997 p.227">{{Harvnb | ジョン・トーランド | 1997 | p=227}}</ref><ref name="児島 1984 p.263">{{Harvnb | 児島襄 | 1984 | p= 263}}</ref>。潜行要員のアメリカ海軍{{仮リンク|ユージーン・クラーク (軍人)|en|Eugene F. Clark|label=ユージーン・クラーク大尉}}<ref group="†">{{Harvnb | 陸戦史研究普及会 編 朝鮮戦争 4 | 1969 | p=89}}たたき上げのアメリカ海軍大尉。占領行政にたずさわっていた。第二次世界大戦を南太平洋で従軍し東洋に長くいたことから、簡単な中国語と日本語を話すことが出来た。本上陸作戦でも用いられる軍用貨物船の艦長を務めた経験から、上陸適地の判断に適任と考えられた。</ref>と通信兵、通訳の韓国人2人、計4名の一行は、8月31日、イギリス海軍の駆逐艦{{仮リンク|HMS チャリティ|en|HMS Charity (R29)}}で佐世保を出発すると、{{仮リンク|德積島|ko|덕적도|label=德積島(トクチョクト)}}沖合で韓国海軍の砲艦に乗り換え、9月1日に霊興島に上陸<ref name="児島 1984 p.264">{{Harvnb | 児島襄 | 1984 | p= 264}}</ref>。島民の協力の下、昼は身を潜め、夜になると仁川港周辺の[[偵察]]、敵の防御を確認した。クラーク大尉は仁川港前面に位置する月尾島にも島民を送り込み火砲の配備状況などを精密に調査した。これらの諜報活動により収集された情報、過去仁川で勤務したアメリカ軍関係者への聴取、航空写真の分析などにより、高い岸壁がある仁川市北西部(レッド・ビーチ)の岸壁の高さが確認され、上陸用舟艇から直接岸壁を登るためのアルミ製のハシゴが[[大阪市]][[淀川区]]の[[日本アルミ]]に発注された。クラーク大尉は9月15日午前0時には仁川港へ進入する水路を示す八尾島(パルミド)[[灯台]]に潜入し、これを点灯して上陸艦隊の第一陣を誘導した。この功績によりクラーク大尉には[[海軍十字章]]が与えられた<ref name = "HomeOfHeroes">{{Cite web| author = HomeOfHeroes.com | url = http://www.homeofheroes.com/members/02_NX/citations/05_korea-nc/nc_08korea_navy.html | title = Navy Cross Awards to U.S. Navy Personnel in the Korean War | language = en | accessdate = 2011-10-04}}</ref>。代償として北朝鮮兵士により霊興島民約50名が[[スパイ]]容疑で処刑された<ref name="陸戦史集10 朝鮮戦争4 p.89-100">{{Harvnb | 陸戦史研究普及会 編 朝鮮戦争 4 | 1969 | p=89-100}}</ref>。
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