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== 歴史 ==
{{出典の明記|date=2016年5月|section=1}}
 
[[1972年]](昭和47年)8月、[[講談社]]『[[週刊現代]]』の編集長に[[川鍋孝文]]が就任した。川鍋は週刊現代の発行部数を最高130万部まで伸ばさせたが、1974年(昭和49年)、[[金大中事件]]の扱いをめぐる講談社役員との軋轢で編集長を解任された。{{main|週刊現代#川鍋孝文編集長時代}}
 
日刊現代社の初代社長となる[[野間惟道]]は講談社社長[[野間省一]]の一人娘にあたる[[野間佐和子]]の婿養子で当時講談社専務取締役だったが、病床に伏していた省一から現場を任されていた副社長[[服部敏幸]]との関係が良くなく、社内の派閥抗争の影響を受ける格好で川鍋と共に『日刊ゲンダイ』の創刊にあたったという業界の噂があった<ref name=tada/>。
 
創刊に先立つ[[1969年]](昭和44年)、[[産業経済新聞社|産経新聞社]]が日本初のタブロイド判夕刊紙『[[夕刊フジ]]』を創刊。川鍋は海外事情視察のため[[アメリカ]]と[[フランス]]に赴いた。その際に現地で[[タイム (雑誌)|タイム]]と[[ニューズウィーク]]を比較し、エスタブリッシュメント的なタイムに対して感情を重視するニューズウィークの姿勢を学んだことが後に創刊されたときの『日刊ゲンダイ』の論調に反映されていると栗林利彰が1978年に書いた{{sfn|栗林利彰|1978|pp=99-102}}(栗林は『週刊現代』時代の川鍋の下で働いた{{sfn|栗林利彰|1978|pp=212-213}})。『フジ』は産経という既存の大新聞社が発行する[[新聞]]として創刊されたのに対して、『日刊ゲンダイ』は[[雑誌]]的なおもしろさを強みにすると位置づけられ、この時点でゲンダイは『フジ』の対抗馬となることが事実上決まった<ref>[[渋谷裕久]]「31『日刊ゲンダイ』創刊、出版社の"日刊誌"1975 新聞と雑誌のはざまでの成功譚」132-135</ref>。
 
なお講談社は戦前にも、[[報知新聞]](現・[[スポーツ報知]])を傘下に収めたことがあったが売却した経緯があり、[[音羽グループ]]としては34年ぶりの新聞事業再参入となる。{{main|報知新聞#買収・統合・再出発|三木武吉#政界復帰、公職追放}}
 
1975年(昭和50年)10月の創刊時、講談社から日刊現代社に参画した社員は少なかった<ref name=shikake/><ref name=ito/>。それでも少なく見積もって15万部を刷り読者にアピールした<ref name=tada>多田陽『音羽vs一ツ橋 巨大出版社の研究』「日刊現代 講談社を二度救った「鬼捨山」の将来」 [[創出版]]、[[1983年]]</ref><ref name=ito/>。しかし、1975年11月と12月には実売で10万部を割り<ref name=tada/>、[[1976年]]1月には1万部から2万部にまで落ち込む<ref name=tada/>。この廃刊の危機を救ったのが、同年2月の[[ロッキード事件]]だった<ref name=tada/>。事件の情報を毎日送り出し{{sfn|栗林利彰|1978|pp=13-22}}、高官の実名を伏せる新聞<ref name=tada/>と速報性の低い週刊誌<ref name=tada/>との隙間をついて差別化に成功し<ref name=shikake/><ref name=tada/>、1976年2月から低迷を脱し8月に売上はピークに達した<ref name=shikake>『出版界の仕掛人 編集者の素顔』「ゲリラ・ジャーナリズムの鬼才・川鍋孝文」</ref>。これによりゲンダイは窮地を救われたばかりでなく、むしろ飛躍に向けてのスタートを切った{{sfn|栗林利彰|1978|p=106}}。[[1983年]](昭和58年)には公称110万部を謳うようになった。なお創刊当時は日刊現代社は編集権のみで、奥付に日刊現代社の住所・電話番号の記載もあったものの最終的な発行所は講談社とクレジットされていた。
 
[[1980年]](昭和55年)、惟道は『日刊ゲンダイ』成功の功績により講談社本社の社長に就任する。
 
[[1981年]](昭和56年)11月16日、大阪版創刊。巻頭記事は「[[創価学会]]・[[池田大作]]名誉会長の醜聞が「[[月刊ペン事件]]」の裁判ですでにこれだけ暴露された」だった。同年[[12月1日]]には、[[北海道日刊スポーツ新聞社]]の出資による'''日刊サッポロ株式会社'''から『[[日刊サッポロ]]』として札幌版が創刊された。
 
1990年頃、講談社の文字が奥付から外れ、名実ともに日刊現代社が編集から発行までの全責任を負うようになる。
 
[[1992年]]、[[中部経済新聞社]]と提携して中部版を創刊<ref name="cyuubukeizai_annai" />。
 
2006年6月1日付から、『日刊サッポロ』は題字を東京や大阪などと同じく『日刊ゲンダイ』に改めた<ref name="hk_gendai" />。
 
==紙面構成==
紙面構成は創刊時からライバルとされた『夕刊フジ』の紙面とほぼ同じ<ref name=tada/>。{{main|夕刊フジ#構成の傾向}}