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{{出典の明記|date=2019年2月26日 (火) 07:42 (UTC)|ソートキー=人1761年没}}
'''杉浦 乗意'''(すぎうら じょうい、[[元禄]]14年〈[[1701年]]〉 - [[宝暦]]11年[[7月24日]]〈[[1761年]][[8月24日]]〉)は、[[江戸時代]]中期の装剣[[金工]]家である。通称は奈良太七、後に仙右衛門。[[土屋安親]]、[[奈良利寿]]と共に奈良三作と称された。
 
== 経歴・人物 ==
[[戸田氏|戸田松平家]]の家臣の子として、[[信濃国|信濃]]の[[松本市|松本]]ないしは[[美濃国|美濃]]の加納(現在の[[岐阜市]])で生まれた<ref name="rekishijinbutsu">[[#Reference-Kotobank-杉浦乗意|朝日日本歴史人物事典]]</ref>。江戸に出府後、深川の[[小名木川]]岸の[[蔵屋敷]]に在住し、[[奈良派]]3代[[奈良利治]]一門の[[奈良寿永]]に弟子入りする{{R|rekishijinbutsu}}。号は師匠の推薦により永の字が許可され奈良派4代[[奈良利永]]から因み一蚕堂永春と称したが、後に[[剃髪]]して乗意と改める<ref name="sekaidaihyakka">[[#Reference-Kotobank-杉浦乗意|世界大百科事典]]</ref>。
 
平らな[[四分一 (合金)|朧銀]]の下地[[文様]]の輪郭とする部分を一段低く掘り下げ、文様が下地より高くならないようにする「[[肉合彫り]]」と呼ばれる斬新で精密な文様の表現を創始した{{R|rekishijinbutsu|sekaidaihyakka}}。彼が創始した文様の表現は評判になり、後に[[水戸市|水戸]]や[[京都市|京都]]などの装剣金工家に影響をおよぼした<ref>[[#Reference-Kotobank-杉浦乗意|百科事典マイペディア]]</ref>。
 
作品は代表作に、『鉄拐仙人図小柄』『児落獅子図小柄』等があった。[[鍔]]は2枚程で、他に[[目貫]]や[[縁頭]]等も制作していた。