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「ジョン・バチェラー」の版間の差分
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2019年3月26日 (火) 05:17時点における版
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藪野直史
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会話
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377
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→札幌時代
:
助詞の不適切を訂し、「の」が続くので、前に手を加えた。
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2019年3月26日 (火) 05:23時点における版
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藪野直史
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会話
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投稿記録
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377
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→アイヌ観
:
助詞の不適切を訂した。
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30行目:
== アイヌ観 ==
バチェラーは自身の遺稿の中で、アイヌ
が
と
和人との混血が急速に進んでいることや、アイヌの子供が和人と同様に教育を受け、法の下に日本人となっていることから「一つの民族として、アイヌ民族は存在しなくなった<ref>仁多見厳・飯田洋右『わが人生の軌跡―ステップス・バイ・ザ・ウェイ』北海道出版企画センター、1993年、154ページ</ref>」と記述している。
== 評価 ==