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[[File:Laurens - Self portrait.jpg|thumb|ジャン=ポール・ローラン<br/>(自画像:1876年)]]
'''ジャン=ポール・ローランス'''(Jean-Paul Laurens、[[1838年]][[3月28日]] - [[1921年]][[3月23日]])はフランスの彫刻家・画家である。[[エコール・デ・ボザール]](国立高等美術学校)や私立美術学校[[アカデミー・ジュリアン]]や官立美術学校、[[エコール・デ・ボザール]]で多くの画家を育てた。
 
== 略歴 ==
[[オート=ガロンヌ県]]のFourquevauxフルクヴォーに生まれた。[[トゥールーズ]]の高等美術学校で学んだ後、パリの国立高等美術学校([[エコール・デ・ボザール]](国立高等美術学校)で[[レオン・コニエ]](Léon Cogniet)やアレクサンドル・ビーダ(Alexandre Bida)に学んだ。主に歴史画を描き、[[パリ市庁舎]]などの公共施設の装飾画も描いた。
 
[[エコール・デ・ボザール]][[アカデミー・ジュリアン]]で教鞭をとっローランスは優秀な教師として知られ、ローランスが教え指導した学生には[[エドマンド・デュラック]]やジョゼ・マンジュらがいた。
 
息子の、ジャン=ピエール・ローランス(Jean-Pierre Laurens :1875-1932)、ポール・アルベール・ローランス(Paul Albert Laurens:1870-1934)も画家になった。
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|File:Bailly, La Fayette and Louis XVI at Hôtel de Ville (particular).jpg|『パリ市庁舎でバイイとラファイエットに迎えられるルイ16世』
|File:Laurens - The Last moments of Maximilian.jpg|『[[マクシミリアン (メキシコ皇帝)|メキシコ皇帝マクシミリアン]]の最期』
|File:Laurens excomunication 1875 orsay.jpg|『[[ロベール2世 (フランス王)|ロベール敬虔王]]の破門』
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== 参考文献 ==
* Anne de Margerie (Hrsg.): ''Jean-Paul Laurens (1838-1921). Peintre d'histoire''. Réunion des Musées Nationaux, Paris 1997, ISBN 2-7118-3597-9.
* François de Vergnette: ''Jean-Paul Laurens (1838–1921). Peintre d'histoire''. Dissertation Sorbonne, Paris 2000.