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社名にある「興産」には、「地域社会に有用な産業を次々に興す」という意味が込められており、宇部共同義会の長老であった[[紀藤閑之介]](第3・6代[[宇部市#市長|宇部市長]]、[[宇部時報]]創刊者)の案を[[俵田明]]が採用したものである<ref>[[#中安閑一傳編纂委員会1984|中安閑一傳編纂委員会 (1984)]] P.167</ref>。社名のとおり、同社は創業時より各々の事業だけでなく、[[教育機関]]や[[港湾]]、[[ダム]]、[[上水道]]の整備等を通して、地域の[[社会資本]]整備に大きな役割を果たしてきた。
 
旧[[三和銀行]](現・[[三菱UFJ銀行]])を[[メインバンク]]とする企業から構成される[[三水会|三水会とその後身社長会である水曜会]]及び[[みどり会]]の主要構成企業であり<ref>[https://doors.doshisha.ac.jp/duar/repository/ir/15981/17064050004.pdf 六大企業集団の無機能化] - [[同志社大学]]学術情報検索システム内にある[[Portable Document Format|PDFファイル]]。筆者は経済学者の田中彰。</ref><ref>[http://www.midorikai.co.jp/member.html メンバー会社一覧 - みどり会]</ref>、かつては[[日立造船]]、[[帝人]]とともに'''三和御三家'''と呼ばれていた<ref group="注釈">過去の[[融資|シンジケートローン]]組成の際には[[三菱UFJ銀行]](旧・三和銀行)と[[みずほ銀行]](旧・[[日本興業銀行]])の2行が幹事行を担当しており、また、歴代の社外取締役にも両行の元幹部を選任しているため、この2行がメインバンクであると考えられる。他に[[日本政策投資銀行]]、[[農林中央金庫]]、[[山口フィナンシャルグループ]]とも親密である。</ref>。その関係上、宇部市には山口県内唯一<ref group="注釈">かつて、旧三和銀行は下関支店([[下関市]])も有していたが、同支店は[[1969年]](昭和44年)[[11月15日]]を以て閉鎖され、現在の宇部支店に統合された。尚、旧[[東海銀行]]に関しては山口県内への進出実績自体がない。</ref>の旧[[UFJ銀行]](現在は三菱UFJ銀行)の支店が存在している<ref group="注釈">但し、旧[[東京三菱銀行]]店である徳山支店が[[周南市]]にあるため、三菱UFJ銀行としては山口県に宇部支店を含め2つの支店を有している。なお下関市の商業施設[[シーモール下関]]にある三菱UFJ銀行のATMは旧[[東京銀行]]下関支店があった名残である。</ref>。
 
[[山口県]]での生産拠点が宇部地区と伊佐地区([[美祢市]])に分散している為、両工場を結ぶ全長28kmにも及ぶ企業専用道路([[宇部興産専用道路]])と[[宇部港]]に架かる1kmの橋梁(興産大橋)を所有しており、一企業の建造物としては異例の規模を誇っている。