「昇進伝達式」の版間の差分
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相撲協会によると伝達式の口上が現在のように「謹んでお受け致します…」という形が定着したのは昭和40年代ごろであり、初代・若乃花(当時若ノ花、1955年10月)は「ありがたくお受けします」、大鵬(1960年11月)は「喜んでお受けします。これからも頑張ります」だけであった。<ref>[http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2011/12/01/kiji/K20111201002145860.html 昭和の大関昇進口上は短め…輪島は“ド忘れ” ] Sponichi Annex 2011年12月1日 06:00 </ref>
通常使者を迎える側は、大関・横綱へ昇進する力士本人と、その師匠夫妻が伝達式に出席する
また、平成17年([[2005年]])11月場所後の[[琴欧洲勝紀|琴欧州勝紀]](のち琴欧洲)が大関に昇進した際は、現[[佐渡ヶ嶽]]親方(元関脇[[琴ノ若晴將]])夫妻とは別に、11月場所中に停年退職した先代の[[佐渡ヶ嶽]]親方(元横綱[[琴櫻傑將]])の出席も特例として認められた。それから2年後、平成19年([[2007年]])7月場所後の[[琴光喜啓司]]の大関昇進時も、先代佐渡ヶ嶽親方は体調不安から後ろの方で椅子に座りながら伝達式を眺めていた(その大関昇進からわずか3週間後、先代佐渡ヶ嶽は66歳で死去)。
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