「社共共闘」の版間の差分

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<!--{{要出典範囲|目標は、原則として首長選挙の勝利や[[議会]]で多数派を占めることに置かれ、武装闘争を志向する者は、体制側の挑発者として共闘の対象とはしなかった。たとえば[[三里塚闘争]]でも、社会党は[[千葉県]][[都道府県知事|知事]]と[[紳士協定]]を結び、共産党は[[ニセ「左翼」暴力集団|トロツキスト]]批判をすることで、[[1978年]]の[[成田空港管制塔占拠事件]]にいたる闘争からは一線を画していた|date=2017年12月}}。-->
 
== 55年体制 ==
国政選挙における協力は進まず、[[参議院]][[沖縄県選挙区]]と、[[第11回参議院議員通常選挙|1977年の参議院選挙]]における[[宮城県選挙区]]以外は、統一候補はできなかった。そこには、社会党のなかでの、[[社公民路線]]を志向し、共産党との共闘に消極的な流れの存在と、[[向坂逸郎]]を理論的リーダーとする[[社会主義協会]]が共産党と非武装中立における論争を続けていたことが影響している。社会主義協会は全野党共闘を主張し実質的に社共共闘推進派でもあった。