「ティベリウス・グラックス」の版間の差分

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[[元老院 (ローマ)|元老院]]はこの法案に反発した。法案を元老院に通せば潰されるのは目に見えていたので、ティベリウスは直接[[ケントゥリア民会]](市民集会)に提出した。
 
元老院はこれを伝統に反するやり方としてさらに反発し、ティベリウスを計略にかけようとする。ローマには護民官が2人おり、その両方が法案の[[拒否権]]を持っていた。そこで元老院はもう一人の護民官であるオクタウィウスを買収、グラックスが民会へ法案の投票を募る提案を出すたびに拒否するという手段に出た。これに対しティベリウスはオクタウィウスをケントゥリア民会投票で解任、強制的にケントゥリア民会から退出させた。護民官による護民官の解任、この時点でティベリウスは単独の護民官となり、結果として膨大な権力を有する存在となった(護民官を含めたローマの政務官は、[[独裁官]]と[[最高神祇官]]を例外として、複数名が選出される。そして、同僚政務官や下位の政務官の決定に対する拒否権を有する。)。そしてセンプロニウス農地法は可決される。ティベリウスが攻撃されるのを危惧して帰路では民会が彼を取り囲んで家まで送ったという。
 
そんな中、[[アッタロス朝|ペルガモン王国]]のアッタルス3世が没し王国をローマにゆだねると遺書に残した。これをティベリウスは法案のための財源として活用しようとする。しかもこの提案を[[ケントゥリア民会]]・[[トリブス民会]]ではなくて、[[プレブス民会]](平民集会)の議決で可決してしまう([[ホルテンシウス法]]によって、プレブス民会で可決された法律も他の民会で可決された法律と同等の有効性があった)。この行為は今まで海外の事例に携わってきた伝統のある元老院にとって衝撃的な挑発として受け止められ、ますますティベリウスと元老院は対立を深めていった。