「ラパッロ条約 (1922年)」の版間の差分

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ワイマール連合([[:en:Weimar Coalition|Weimar Coalition]])の一員である[[ドイツ社会民主党]]が[[ローザ・ルクセンブルク]]と[[カール・リープクネヒト]]の殺害を含めた[[ドイツ共産党]]への残忍な抑圧に関与し続けていたにも関わらず、[[共産主義]]国家との良い関係を交渉し、維持するというドイツ政府の決定は[[ワイマール共和国]]の多くの保守と極右のグループにとっても警戒すべきことであった。
 
[[ソ連|ソビエト]]の地位が強化されたことは[[ポーランド]]、[[バルト三国]]及び[[フィンランド]]の懸念となった。その対処として、防衛と外交の分野のより緊密な協力によってこの問題とを強化する提案がなされた展開に対処する試みは主にが、議会の抵抗のため反対遭い失敗している。
 
この独ソ両国の連携は、1933年にドイツで反共産主義を掲げる[[ナチス・ドイツ|アドルフ・ヒトラー政権]]が成立するまで続いた。なお、[[ベルリン条約 (1926年)|ベルリン条約]]で再確認されたが、独ソ間の信頼は1920年代半ばのドイツのイギリスとフランスへの再接近によって弱まった。