「時津風 (陽炎型駆逐艦)」の版間の差分

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ところが自沈処理が行われたはずの時津風は沈没しておらず、翌日にクレチン岬南東方向タミ島の143度50浬を漂流中の時津風を日本軍が発見<ref name="叢書(96)60" />。時津風艦内に将来使用予定の[[暗号|暗号書]]がある事が問題になる<ref>[[#高松宮日記6巻]]88頁</ref>。アメリカ軍に鹵獲されぬよう零戦14機と[[九九式艦上爆撃機]]9機が出撃、九九艦爆が爆撃を行うが撃沈できなかった(南東方面艦隊の報告では艦尾に爆弾1命中、左舷に至近弾1)<ref name="叢書(96)60" /><ref>[[#高松宮日記6巻]]99頁</ref>。アメリカ側の記録によると、同日午後に第五空軍所属の爆撃機が漂流する時津風を攻撃、撃沈した<ref>[[#戦史叢書96ガ島撤収後]]67頁</ref>。時津風処分のために日本軍潜水艦が派遣され<ref>[[#高松宮日記6巻]]89頁</ref>、[[伊号第十七潜水艦]]は捜索中に船団生存者34名を救助するが、アメリカ軍の[[魚雷艇]]2隻に来襲されて短艇2隻の乗組員は救助できなかったという<ref>[[#高松宮日記6巻]]91-92頁</ref>。
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3月6日、負傷した木村昌福少将は第三水雷戦隊司令官を解任され、後任司令官には[[江戸兵太郎]]少将が任命された<ref>{{アジア歴史資料センター|C13072089900|昭和18年3月6日(発令3月6日付)海軍辞令公報(部内限)第1064号 p.29}}</ref>。3月16日、第八艦隊は[[艦政本部]]に対し以下の提言をおこなった<ref>[[#戦史叢書96ガ島撤収後]]69頁</ref><ref>[[#S1709八艦隊日誌(6)]]pp.24-25『八十一号「ラエ」作戦々訓ニ鑑ミ左ノ件至急実現ノ要アリト認ム』</ref>。
:一. 敵ノ超低空爆撃ハ駆逐艦ト雖モ回避殆ド不能ナルヲ以テ火力ニ依リ敵ヲ阻止スル以外ニ方策ナシ。<br />  従ッテ南東方面行動ノ艦艇(輸送船ヲ含ム)ハ主砲ノ一部ヲ犠牲トスルモ二五粍以上ノ機銃八基以上ヲ装備スルト共ニ主砲ニハ三式弾ヲ使用スルヲ要ス。
:二. 駆逐艦ニ対空用望遠鏡少クトモ四個(六糎ニテモ可)ヲ装備スルヲ要ス。
:三. 艦橋及機銃台ノ防弾設備ヲ良好ナラシムル要アリ。
:四. 高速小型輸送船(差當リ駆逐艦巡洋艦ノ改装ニ依リ)ニ依リ輸送力強化ヲ要ス。--><!--海戦の記事もあるわけで駆逐艦の個艦記事に書くことではないのではないかと-->
 
同年[[4月1日]]、ビスマルク海海戦で沈没した僚艦や、3月5日[[ビラ・スタンモーア夜戦]]で沈没した駆逐艦[[村雨 (白露型駆逐艦)|村雨]]、[[峯雲 (駆逐艦)|峯雲]]と共に時津風の除籍が決定された。