「少帝弁」の版間の差分

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在位わずか5ヶ月に過ぎず、また地方豪族の一人に過ぎなかった董卓に帝位を廃されたことは、事実上後漢王朝が滅亡したことを意味している。
 
のちに弘農懐王として[[諡]]されたため、実質的に皇帝とは認められなかったことになる。[[明]]代に書かれた『[[三才圖會]]』に掲載されている後漢王室の[[系図]]でも、弁の存在は省かれている。『[[三国志 (歴史書)|三国志]]』魏志「[[王朗]]伝」によると、[[曹操]]が劉弁の墓前を通ったとき、皇帝陵として参拝すべきか否かどうか、付き従っていた{{仮リンク|董遇|zh|董遇}}に訊いた。すると董遇は「皇帝ではないと見なされますので参拝は不要です」と述べたため、曹操はその意見に従っている。
 
==三国志演義での少帝==