「カリビアンシリーズ」の版間の差分

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[[File:Monte Irvin 1953.jpg|200px|thumb|left|[[モンテ・アーヴィン]]は{{mlby|1949|d=y}}、[[ニグロリーグ]]の[[ニューアーク・イーグルス]]からMLBの[[サンフランシスコ・ジャイアンツ|ニューヨーク・ジャイアンツ]]へ移籍した。この年のMLBでの年俸が5000ドルだったのに対し、シーズン開幕前に出場した[[1949年のカリビアンシリーズ|第1回カリビアンシリーズ]]6試合の出場給は2000ドルにのぼったという<ref>Juan Vené, "[https://www.milenio.com/opinion/juan-vene/en-la-pelota/serie-caribe-1949-monte-irvin-pasquel Serie del Caribe 1949 Monte Irvin y Pasquel]," ''[[:es:Milenio (periódico)|Milenio]]'', 5 de febrero de 2017. 2019年3月10日閲覧。</ref>]]
この4球団が1949年2月20日、ハバナのグラン・エスタディオ・デル・セロ(のちの[[エスタディオ・ラティーノアメリカーノ]])に集結し、大会が開幕した。開会式にはアメリカ合衆国からもオーガナイズド・ベースボールの重役が出席し、MLBコミッショナー事務局のウォルター・マルブリーがCBPCの旗を掲揚、NAPBL会長[[ジョージ・トラウトマン]]が[[始球式]]を務めた<ref name="sabrcbpc" />。初日の第1試合はインディオス・デ・マヤグエスとスパーコーラ・コロナイツの対戦で、インディオスの[[先発投手]][[ウィルマー・フィールズ]]が第1球を投じ、大会初[[安打]]はコロナイツの[[中堅手]][[レオンッド・トレッドウェイ]]が初回表に記録した<ref name="sdcfirsts">Bienvenido Rojas, "[https://www.diariolibre.com/deportes/del-almendares-en-el-cerro-a-villa-clara-en-isla-margarita-BKDL460331 Del Almendares en El Cerro a Villa Clara en Isla Margarita]," ''[[:es:Diario Libre|Diario Libre]]'', 30 de enero de 2014. 2019年3月10日閲覧。</ref>。この試合は乱打戦となり長引いたため、第2試合の開始が遅れないように8イニングで打ち切られ、コロナイツが13-9で勝利した<ref name="sabrcbpc" />。続く第2戦では、セルベセリア・カラカスの[[ダルミーロ・フィノル]]が4回裏に大会第1号の[[本塁打]]を放ったが、セルベセリアの得点はこの本塁打による1点にとどまり、地元キューバのアラクラーネス・デル・アルメンダーレスが16-1の大勝を収めた<ref name="sdcfirsts" />。大会は25日までの6日間、各球団が総当たり2回の計6試合を行い、アラクラーネスが全勝で初代王者となった。投手の[[アガピト・マヨール]]が3勝を挙げて[[:en:Caribbean Series Most Valuable Player|大会MVP]]を受賞、打者では[[モンテ・アーヴィン]]が2本塁打・11[[打点]]の活躍を見せた<ref>Sigfredo Barros Segrera, "[http://www.granma.cu/temas-beisboleros/2019-01-31/1949-1960-cuba-manda-31-01-2019-21-01-34 1949-1960: Cuba manda]," ''[[グランマ (新聞)|Granma]]'', 31 de enero de 2019. 2019年3月10日閲覧。</ref>。観客動員面では6日間全て満員とはいかなかったものの、トラウトマンは今大会を成功と評価した<ref name="sabrcbpc" />。
 
=== 1960年大会まで ===
カリビアンシリーズは翌1950年以降、[[プエルトリコ]]の政庁所在地[[サンフアン (プエルトリコ)|サンフアン]]→[[ベネズエラ]]の首都[[カラカス]]→[[パナマ]]の首都[[パナマ市|パナマシティ]]→[[キューバ]]の首都[[ハバナ]]……と、CBPC加盟国・地域の首都で持ち回り開催された。この持ち回りは1960年まで3周・12年にわたり続いた。一方、[[:es:Serie Interamericana|セリエ・インテラメリカーナ]]はカリビアンシリーズ開始後も2年間継続したが、1950年の第5回大会を最後に終了した。セリエ・インテラメリカーナでは、[[ブルックリン・ブッシュウィックス]]が第1回から4連覇したのち、第5回はセルベセリア・カラカス(のちの[[レオネス・デル・カラカス]])が優勝した。しかしベネズエラ勢は、カリビアンシリーズでは12回の出場で一度も優勝できなかった<ref>Jesús Enrique Leal, "[http://www.elsoldemargarita.com.ve/posts/post/id:183205/Magallanes-de-estreno-en-1970 Magallanes de estreno en 1970]," ''[[:es:El Sol de Margarita|El Sol de Margarita]]'', 1 de febrero de 2019. 2019年3月24日閲覧。</ref>。この12年間で優勝回数が最も多かったのはキューバ勢で7回、次いでプエルトリコ勢が4回、パナマ勢が1回だった。
 
[[1950年のカリビアンシリーズ|1950年のシリーズ]]では、地元プエルトリコの[[クリオージョス・デ・カグアス]]とパナマの[[カルタ・ビエハ・ヤンキース]]が4勝2敗で並んだため、優勝決定戦の直接対決が急遽7日目に組まれた。その結果、ヤンキースが9-3で勝利し優勝を決めた。このとき、敗れたクリオージョスで[[選手兼任監督]]を務めていたのが[[ルイス・オルモ]]である。オルモはプエルトリコのウィンターリーグ "[[リーガ・デ・ベイスボル・プロフェシオナル・ロベルト・クレメンテ|リーガ・デ・ベイスボル・プロフェシオナル・デ・プエルトリコ]]" (LBPPR)において、1942-43シーズンに23歳で[[カングレヘーロス・デ・サントゥルセ]]の選手兼任監督となりシーズンMVPを受賞、1943年7月には[[プエルトリコ出身のメジャーリーグベースボール選手一覧|プエルトリコ出身者では史上2人目のMLBデビュー]]も果たした<ref name="olmobiog">Rory Costello, "[https://sabr.org/bioproj/person/a26bda17 Luis Olmo]," ''Society for American Baseball Research'', 2017. 2019年3月24日閲覧。</ref>。しかし1946年、[[ダニー・ガーデラ]]らと同様に[[メキシカンリーグ]]移籍を選択したため、オーガナイズド・ベースボールから5年の追放処分を課された<ref name="mlbs1491" />。1949年に処分が解除されると、[[1949年のワールドシリーズ|同年10月のワールドシリーズ]]に出場して[[本塁打]]を放ち、終了後にはクリオージョスの選手兼任監督として4季ぶりにLBPPRへも復帰した<ref name="olmobiog" />。もし1949年6月の前倒し処分解除がなければ、オルモはこのシリーズへの出場はできなかったことになる。翌1950-51シーズン、オルモ率いるクリオージョスはカングレヘーロスに敗れて、LBPPR連覇とカリビアンシリーズ出場を逃す。それでも、カリビアンシリーズ出場球団は同リーグ他球団からの補強選手獲得が認められているため、オルモはカングレヘーロスの一員として[[1951年のカリビアンシリーズ|1951年のシリーズ]]に出場、[[打率]].417・3[[本塁打]]・9[[打点]]の活躍で優勝とともに[[:en:Caribbean Series Most Valuable Player|大会MVP]]を受賞した<ref name="olmobiog" />。
 
オルモはカリビアンシリーズ出場を通算で4度経験した<ref>Metro Puerto Rico, "[https://www.metro.pr/pr/deportes/2017/04/28/lbprc-lamenta-muerte-pelotero-americas.html LBPRC lamenta muerte del Pelotero de las Américas]," ''[[都市日報|Metro]]'', 28 de abril de 2017. 2019年3月31日閲覧。</ref>。そのうち、[[1955年のカリビアンシリーズ|1955年のシリーズ]]を制したカングレヘーロスは、プエルトリコの野球ファンや野球史家によって "史上最高のチーム" とされている<ref name="postcard">Eric Robinson, "[https://tht.fangraphs.com/postcards-from-vacation-baseballs-winter-leagues/ Postcards from Vacation: Baseball’s Winter Leagues]," ''The Hardball Times'', January 24, 2018. 2019年3月31日閲覧。</ref>。1954-55シーズンのカングレヘーロスでは、[[ウィリー・メイズ]]と[[ロベルト・クレメンテ]]という、のちに[[アメリカ野球殿堂表彰者の一覧|アメリカ野球殿堂入り]]する[[外野手]]ふたりが右中間を組んだ。メイズは1954年のMLBで、[[サンフランシスコ・ジャイアンツ|ニューヨーク・ジャイアンツ]]の正[[中堅手]]として活躍し[[ナショナルリーグ]]の[[最優秀選手賞 (MLB)|MVP]]を受賞、[[1954年のワールドシリーズ|9月下旬のワールドシリーズ初戦]]では "[[:en:The Catch (baseball)|ザ・キャッチ]]" と称される好捕を披露した。当時ジャイアンツのコーチだった[[ハーマン・フランクス]]がカングレヘーロスの監督を務めることや、ジャイアンツのオーナーとカングレヘーロスのオーナーが友人関係にあったことなどから<ref>John Saccoman, "[https://sabr.org/bioproj/person/64f5dfa2 Willie Mays]," ''Society for American Baseball Research'', 2015. 2019年3月31日閲覧。</ref>、メイズはワールドシリーズ終了から2週間後にプエルトリコへ渡った<ref name="postcard" />。一方のクレメンテは1954年が[[マイナーリーグ]]1年目で、[[ロサンゼルス・ドジャース|ブルックリン・ドジャース]]傘下AAA級で過ごしたのち、[[ドラフト会議 (MLB)|ルール5ドラフト]]で[[ピッツバーグ・パイレーツ]]へ移籍した。カングレヘーロスでクレメンテは、フランクスやメイズ、オルモらから、膝が開かない走塁フォームや[[送球]]時に余計な1歩のステップを減らすことなど、技術面で指導を受けた<ref name="efe1955">EFEUSA, "[https://www.efe.com/efe/usa/puerto-rico/puerto-rico-aun-recuerda-como-domino-el-beisbol-caribeno-hace-60-anos/50000110-2511115 Puerto Rico aún recuerda cómo dominó el béisbol caribeño hace 60 años]," ''[[EFE|Agencia EFE]]'', 14 de enero de 2015. 2019年3月31日閲覧。</ref>。フランクスは「クレメンテはLBPPRで最高の選手だ、ただしメイズは除いてね」と称賛した<ref name="rclementebio">Stew Thornley, "[https://sabr.org/bioproj/person/8b153bc4 Roberto Clemente]," ''Society for American Baseball Research'', 2013. 2019年3月31日閲覧。</ref>。
 
[[File:Roberto Clemente - Pittsburgh Pirates - 1966.jpg|200px|thumb|[[ロベルト・クレメンテ]]は[[1953年のカリビアンシリーズ]]のときも[[カングレヘーロス・デ・サントゥルセ]]に所属していたが、当時は出場機会を得られずじまいだった。その2年後は主力選手として活躍し、カングレヘーロス優勝の原動力となった<ref name="rclementebio" />]]
カングレヘーロスには、[[ラテンアメリカ]]の選手や[[ニグロリーグ]]の選手、[[黒人]]・[[白人]]を問わずアメリカ人メジャーリーガーなど、様々な出自の選手が混在していた<ref name="sjonesbio" />。二遊間は白人若手選手の[[ロン・サムフォード]]と[[ドン・ジマー]]が組み、ニグロリーグ出身で30代の[[ジョージ・クロウ]]や[[ボブ・サーマン]]らが打線に厚みを加えた。[[先発ローテーション]]ではニグロリーグ出身の[[サム・ジョーンズ (野球)|サム・ジョーンズ]]と[[ビル・グリーソン (1924年生の投手)|ビル・グリーソン]]、そしてプエルトリコ人の[[ルーベン・ゴメス]]が3本柱を形成した。カングレヘーロスはLBPPRのレギュラーシーズンを首位で通過し、クリオージョスとの優勝決定シリーズも4勝1敗で制覇。カリビアンシリーズの優勝予想でも本命視され、開催地ベネズエラのファンから大きな注目を集めた<ref name="postcard" />。カングレヘーロスは初戦から2連勝のあと、3日目に地元ベネズエラの[[ナベガンテス・デル・マガリャーネス]]と対戦する。この試合では両チームの[[先発投手]]、カングレヘーロスのジョーンズとナベガンテスの[[ラモン・モンザント]]による投げ合いが延長11回まで続き、最後はクレメンテの出塁からメイズが2点[[本塁打]]を放ってカングレヘーロスが勝利を収めた<ref name="sjonesbio" />。4日目と5日目も勝ち、カングレヘーロスは前評判どおりに優勝した。ここで特筆すべきは、この年のカングレヘーロスは他の年の優勝球団と異なり、補強選手をひとりも入れず自前の選手だけで優勝したことである<ref name="efe1955" />。大会MVPを受賞したジマーは「ウィンターリーグ史上最高のチームかも」と述べ<ref name="rclementebio" />、フランクスは後年「投手陣の層がもう少し厚ければ、MLBでも優勝しうるチームだった」と振り返っている<ref>Thomas Van Hyning, "[https://sabr.org/bioproj/person/7d94a891 Ruben Gomez]," ''Society for American Baseball Research'', 2017. 2019年3月31日閲覧。</ref>。
 
=== キューバ革命以後 ===
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=== 優勝監督とシリーズ大会MVP ===
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