「江波停留場」の版間の差分

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|画像説明 = ホーム(2008(リニューアル前、2008年)
|よみがな = えば
|ローマ字 = Eba
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== 歴史 ==
江波線の建設が開始されたのは太平洋戦争下の1943年(昭和18年)のことである<ref name=osafune>[[#osafune|『広電が走る街 今昔』]]111-114頁</ref>。軍の要請により、[[江波 (広島市)|江波地区]]に建設されていた[[三菱重工業]]の広島造船所<ref name=energia>{{Cite web |url=http://www.energia.co.jp/eneso/keizai/research/pdf/MR1309-3.pdf |title=地域の発展を支える企業 第7回 三菱重工業株式会社広島製作所江波工場 |accessdate=2016-09-30 |date=2013-09 |format=PDF |work=エネルギア地域経済レポート |publisher=[[中国電力]]}}</ref>への通勤輸送を目的として建設され、同年12月に[[舟入本町停留場|舟入本町]]、翌年6月には当時の[[舟入南停留場|舟入南]]まで路線が達した<ref name=osafune/>。しかしその翌年、1945年(昭和20年)8月6日に[[広島市への原子爆弾投下|原爆が投下]]され、江波線をはじめ広島電鉄の市内線は不通となる<ref name=osafune2>[[#osafune|『広電が走る街 今昔』]]150-157頁</ref>。江波線は江波地区まで到達することなく終戦を迎えた。
 
路線が舟入南から延長され、当停留場が開業するのは1954年(昭和29年)のことである<ref name=osafune2/>。当時は'''江波口停留場'''(えばぐちていりゅうじょう)と称していた<ref name=chizu38>{{Cite book|和書|author=[[今尾恵介]](監修) |title=[[日本鉄道旅行地図帳]] |publisher=[[新潮社]] |volume=11 中国四国 |year=2009 |isbn=978-4-10-790029-6 |page=38}}</ref>。江波停留場への改称時期については諸説ありはっきりしない<ref name="改称年">『広電が走る街 今昔』では1968年(昭和43年)以降、『日本鉄道旅行地図帳』では1959年から1962年までの間、『山陽・山陰ライン 全線・全駅・全配線』では1963年(昭和38年)。</ref>。
* [[1954年]](昭和29年)1月<ref name="開業日"/> - 江波線の軌道が延長され、'''江波口停留場'''として開業<ref name=osafune2/><ref name=chizu38/>。
* 時期不詳<ref name="改称年"/> - '''江波停留場'''に改称。