「ヴィトルト・ルトスワフスキ」の版間の差分

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==略歴==
*[[1913年]][[1月25日]]、ポーランドのワルシャワに生まれた。[[1937年]][[ショパン音楽アカデミー|ワルシャワ音楽院]]を卒業。[[1954年]]に代表作、[[管弦楽のための協奏曲 (ルトスワフスキ)|管弦楽のための協奏曲]]を作曲した。UNESCO国際作曲家会議で第一位受賞、頭角を現す。[[1959年]] - [[1965年]]は、 国際現代音楽協会ISCMのポーランド支部委員に選出。[[1963年]]からは、[[ヨーロッパ]]全土で活躍。各地で絶賛される。[[1983年]]からは、伝統的なスタイル「交響曲」、「協奏曲」、「ファンファーレ」、「パルティータ」といった楽曲を作曲する事が優勢になった。ポーランド初のISCM名誉会員へ選出。[[1994年]][[2月7日]]、[[ヴァイオリン協奏曲]]を作曲中に急逝。81歳。夫人はその年のうちに没した
 
== 作風 ==