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1984年にWRCの[[ツール・ド・コルス]]に初参戦するが、リタイアに終わる。1986年にフランス国内選手権全戦出場し、初のタイトルを得る。1987年、1988年と[[フォード・モーター|フォード]]でフランス国内選手権を連覇し、1988年のツール・ド・コルスでWRC初勝利を挙げる。ちなみにこのときのチームメイトは[[カルロス・サインツ]]である。
 
翌1989年には[[ランチア]]・ワークスと契約、翌1990年もワークスの[[ランチア・デルタ]]を駆り年間3勝するも、トヨタのカルロス・サインツに及ばずドライバーズタイトルを逃す。1991年にはサテライトチームのジョリークラブに移籍する。1992年にはランチアワークスに復帰し、全14戦のうち10戦に参戦(ジョリークラブを[[アバルト]]が技術支援する形態)。当時の年間最多勝である6勝、および最多連勝記録である5連勝を記録する。しかしタイト参戦目前の[[ラリー・サンレモ]]はなかっスタート直後にリタイアしたことを筆頭加え後半戦になる優勝以外のイベントでは10位1回、リタイア3回技術支援を行両極端な成績であてい[[。また同ラリーでランチアがマニュファクチャラーズタイトルを決定するとアバルト]]が開発から手を引いてしまったため、マシンの戦闘力が低下したこともあり、ドライバーズタイトルはまたしてもサインツに及ばなかった。
 
1993年にランチアが活動を縮小して戦闘力が衰えたため、[[トヨタ・モータースポーツ|トヨタ・チーム・ヨーロッパ]](TTE)に移籍。同年のタイトルはチームメイトの[[ユハ・カンクネン]]が得るものの、翌1994年はサインツとの争いに競り勝ち、3勝を挙げフランス人初のWRCタイトルを獲得する。