「ハルク・ホーガン」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
205行目:
* TNAやWCWで進行に深く関わって自身を常にストーリーラインの中心に置きたがり、親族や友人を縁故出演させるなど公私を混同した行動をとり、強力なトップダウン式の権力構造を持つWWEではたびたび起用法を巡ってビンスと衝突して離脱と復帰を繰り返すといった多くのスターレスラーの例に漏れずエゴイスティックな面もたびたび指摘されている。
* スタン・ハンセンが新日本のトップとして君臨していた時はギャラはハンセンの方が新日本の選手の中で一番であったが、それから1年半した頃、新間寿はホーガンのギャラをハンセンと同じにした。そのことを新間がハンセンに伝えると、ハンセンは「オマエはフェアだ。よくそれを俺に教えてくれた。ありがとう」と感謝の言葉を述べた。ハンセンがホーガンを認めていたことを表すエピソードである<ref name="hogandesse"/>。
* 1980年代、アンドレ・ザ・ジャイアントとは冷戦状態であるという説がまことしやかに信じられていたが、[[ミスター高橋]]によるとそれは虚説であるという。2人は1982年6月18日に蔵前国技館でシングルマッチを行っており、ホーガンがベアハッグでアンドレの巨体を宙に浮かせた。アンドレの胴を両手で締めることができる選手はそういないが、これはアンドレがホーガンに一定の信頼を置いていた証拠である。ただ、気さくにファンサービスを行うホーガンに対してアンドレはファンとの距離を不用意に縮めたがらない人物であり、プロレス哲学は正反対であった<ref name="uso4647"/>
 
== 参考文献 ==