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[[中島健蔵]]が三木の通夜の当日に、[[警視庁]]への拘引から7月下旬まですぐ近くの監房にいて詳しく様子を見たという青年から聞いた話として記しているところによると、疥癬患者の使っていた毛布を消毒しないで三木に使わせたために疥癬に罹患したという{{Sfn|中島|2013|p=261}}。
 
同じ刑務所にいた[[中村武彦]]が看守から聞いたところによると、取るに足らない微罪であったため、検事も刑務所もここで死なれては困るからと終戦後は早々に出す意向であったが、妻に先立たれて家族がおらず、身柄引受人が誰もいない為、釈放が難航した。そうこうしているうちに疥癬が悪化して、猛烈な痒みで転げまわって常に寝台から落ちる為、看守からも放置され、全身が汚物まみれになって、悪臭の中、死んでいったという<ref>中村武彦『維新は幻か わが残夢猶迷録』いれぶん出版、pp.262-266</ref>。
 
三木の通夜の席で、三木や[[尾崎秀実]]、[[戸坂潤]]と親交のあった[[松本慎一]]が「政治犯即時釈放を連合軍に嘆願しよう」と提案したが、その提案が唐突過ぎ、また場所柄もふさわしくなかったために、用意した嘆願書の草案を取り出すことができなかった{{Sfn|荻野|2012|P=210}}。