「竹下慎太郎」の版間の差分

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* [[大分県立大分工業高等学校]]
* [[三菱ふそう川崎硬式野球部|三菱自動車川崎]]
* [[鐵住金本製鉄大分硬式野球部|大分硬式野球倶楽部]]
* [[横浜DeNAベイスターズ|横浜ベイスターズ]] (2001 - 2003)
* [[阪神タイガース]] (2004)
|経歴補足題 = コーチ歴
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== 来歴・人物 ==
=== プロ入り前 ===
[[大分県立大分工業高等学校|大分工業高]]時代の甲子園出場はならなかったが、3年夏の[[全国高等学校野球選手権大分大会|大分県大会]]でベスト8入りを果たした。

高校卒業後は三菱自動車川崎(現・、[[社会人野球]]の[[三菱ふそう川崎硬式野球部|三菱ふそう自動車川崎]]に入社したする退団。その後郷里の大分に戻り、[[クラブチーム (社会人野球)|クラブチーム]]の[[鐵住金本製鉄大分硬式野球部|大分硬式野球倶楽部]]で野球を続けた。
 
右足を高く上げて始動するフォームから、140km/hを超える速球と「まともに打たれたことはない」と豪語するほどの切れを誇る[[スライダー (球種)|スライダー]]を投げ下ろした。年を追って制球力も安定し、大分硬式野球倶楽部の左腕エースとして活躍した。自チームでの[[都市対抗野球大会]]出場は叶わなかったが、[[1999年]]と[[2000年]]には[[三菱重工長崎硬式野球部|三菱重工長崎]]の補強選手として出場し、それぞれ準優勝、ベスト8に貢献した。
 
[[2000年]]の[[2000年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|プロ野球ドラフト会議|ドラフト]]8位で[[横浜DeNAベイスターズ|横浜ベイスターズ]]から8位指名されを受け、29歳・妻子連れでの入団を決めた。29歳4ヶ月でのドラフト指名は[[市村則紀]](30歳5ヶ月)に続く高齢入団として話題となった。
 
=== プロ入り後 ===
8位指名ながらも即戦力として期待され、中継ぎ・ワンポイント[[リリーフ]]として多く起用された。また、プロ入りの際に左打者対策として投球フォームを[[スリー・クォーター]]にしたのも吉と出た。
 
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翌[[2004年]]は一軍昇格ならずまたも故障し、再度の一軍登板を果たせぬまま[[戦力外通告]]を受けた。
 
=== 引退後 ===
[[2006年]]から横浜の[[スカウト (勧誘)|スカウト]](九州担当)を務めたが、球団の常駐スカウトを置かないという方針転換を受けて[[2007年]]オフに退団。
 
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|-
|style="text-align:center;"|{{by2|2001}}
|rowspan="3" style="text-align: center; white-space:nowrap;"|[[横浜DeNAベイスターズ|横浜]]
|53||0||0||0||0||1||0||0||--||1.000||189||42.2||49||6||17||0||1||29||0||0||21||15||3.16||1.55
|-
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* [[横浜ベイスターズの選手一覧]]
* [[阪神タイガースの選手一覧]]
 
== 外部リンク ==
* {{NPB|71975113}}
 
{{横浜ベイスターズ2000年ドラフト指名選手}}
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[[Category:大分県立大分工業高等学校出身の人物]]
[[Category:三菱ふそう川崎硬式野球部及びその前身チームの選手]]
[[Category:鐵住金本製鉄大分硬式野球部及びその前身チームの選手]]
[[Category:横浜DeNAベイスターズ及びその前身球団の選手]]
[[Category:阪神タイガース及びその前身球団の選手]]