「坂口祐三郎」の版間の差分

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[[1989年]](平成元年)、是非にと請われ、[[日光江戸村]]に勤務して講師、舞台演出を手掛ける一方、[[ウェスタン村]]で保安官レッドシャドウ(赤影に由来)としてアトラクションに参加。この江戸村での経験から後進の指導に興味を持ち、友人の[[田中はくどう|田中博道]]プロデューサーとともに故郷久留米市に戻り、俳優養成学校で約10年間、俳優業とともに後進育成を始めた{{Sfn|扶桑社|1998|pp=165-166}}。一時は赤影と呼ばれることを嫌い芸名を変更したこともあったが、久留米に戻ってからは「赤影から逃れられないのだったら、とことん赤影でやっていきたい」と話していたという。
 
2003年7月12日夜、久留米市内の自宅で突然倒れ意識が戻らぬまま、翌13日妻や親族にみとられ、市内の病院で[[脳幹出血]]のため去。[[享年]]62(満61歳没)。
 
== 人物・エピソード ==