「蚊取線香」の版間の差分

 
== 開発の歴史と形状 ==
和歌山県の[[上山英一郎]]([[大日本除虫菊]]株式会社の創業者)は、[[1886年]]に[[福諭吉]]より紹介されたH.E.アモアより[[シロバナムシヨケギク|除虫菊]]の[[種子]]を譲り受ける。上山は、[[平安時代]]から[[日本]]に残る[[伝統的]]な風習「[[蚊遣り火]]」のように粉末状にした除虫菊におがくずを混ぜて燃やす方法を考えたが、夏に季節はずれの火鉢が必要であったために普及に至らなかった<ref name="katori1">[http://www.nttcom.co.jp/comzine/no003/long_seller/index.html 金鳥蚊取り線香]</ref>。
 
そこで上山は、今度は[[線香]]に除虫菊を練り込むことを考案、[[1890年]]に[[世界初]]の棒状蚊取り線香「金鳥香」が誕生した<ref name="ayumi1">[http://www.kincho.co.jp/kaisha/japanese/ayumi/ayumi01.html 金鳥のあゆみ 創業〜明治時代 大日本除虫菊株式会社HP]</ref>。 棒状のものが製造されていたが粉末のものは扱いにくく、棒状のものは立てて使うために線香が倒れ火災が発生することも少なくなかった。最大の欠点は、一度の点火で長時間にわたって燃焼させることが、線香の形状から出来なかったことで、約20cmの長さで約40分が限界だった。棒状線香を単純に伸ばしただけでは燃焼中に倒れやすくなるので、延長にも限度があった<ref name="katori1"/>。
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