「渋沢栄一」の版間の差分

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== 人物 ==
=== 社会貢献活動 ===
[[Image:Members of the Capital Restoration Board cropped.jpg|thumb|250px|震災復興院委員: 左から渋沢、[[伊東巳代治]]、[[加藤高明]]]]
[[Image:Eiichi Shibusawa and dolls.jpg|thumb|渋沢と青い目の人形]]
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=== 天譴論 ===
関東大震災後日本の言論界に、世の中の風潮が利己的、放漫になった時、自然が天譴として大災害を起こし改革を促す、と解釈した「天譴論」が流行したが、その口火を切ったのは渋沢だった<ref>[[筒井清忠]]『帝都復興の時代:関東大震災以後』中央公論新社 <中公新書>、2011年、ISBN 9784121100030 pp.114-120.</ref>。「天譴」は腐敗した[[ブルジョア]]や近代産業文明を批判し、平等や自然回帰を賛美する[[流行語]]となったが、不自然さや偽善性を感じた人も少なくなかった。主唱者だった渋沢も「天譴だと言う人は、本当にこれを天譴と思って居るのではないかも知れませぬから」と苦言を呈するようになった。
 
=== エピソード ===
[[File:10000 yen obverse scheduled to be issued 2024 front.jpg|thumb|300px|2024年度発行予定の一万円札見本]]
* 日本を代表する経済人として、また初代紙幣頭(後の印刷局長)として[[日本銀行券]]([[紙幣]])の肖像の候補者として何度も選ばれ、[[千円紙幣|日本銀行券C千円券]](1963年11月1日発行開始)では肖像候補として最終選考にまで残ったが、結局採用されることはなかった。しかし、2024年度上半期に執行が予定されている紙幣改定により[[一万円紙幣|一万円札]]紙幣において渋沢の肖像が採用されることが決定しになっ<ref>{{Cite press release |title=新しい日本銀行券及び五百円貨幣を発行します |publisher=[[財務省 (日本)|財務省]] |date= 2019-04-09|url= https://www.mof.go.jp/currency/bill/20190409.html|format= HTML|language= 日本語|accessdate= 2019-04-09}}</ref><ref>{{Cite news|title=新紙幣を正式に発表 一万円札の裏は東京駅|newspaper=産経ニュース|date=2019-04-09|url=https://www.sankei.com/economy/news/190409/ecn1904090008-n1.html|agency=産業経済新聞社|accessdate=2019-04-09}}</ref>。
* 1902年から1904年にかけて[[大韓帝国]]で発行された初期の第一銀行券の1円、5円、10円券には当時の経営者だった渋沢の肖像が描かれていた。ちなみに、この第一銀行券を「一国の紙幣が日本の民間銀行の銀行券を使用しているのはいかがなものか」と韓国独自の[[中央銀行]](後の[[朝鮮銀行]])へと切り替えたのは[[韓国統監]]時代の伊藤博文である<ref>[[多田井喜生]]「朝鮮銀行」PHP新書</ref>。
* 出身の[[深谷市]]では、栄一の命月の11月が「渋沢栄一記念月間」に指定され、毎年イベントが催されている。埼玉県子ども会育成連絡協議会が発行した『さいたま郷土かるた』の「に」の項目は「日本の産業育てた渋沢翁」となっており、[[畠山重忠]]、[[塙保己一]]と並ぶ埼玉を代表する偉人として、3人札(役札:3枚そろえると10点)に選出されている。また『彩の国21世紀郷土かるた』の「え」の項目は「栄一も食べたネギ入り煮ぼうとう」となっている。これは深谷[[ネギ|ねぎ]]が栄一の故郷の深谷の特産品であることと、[[煮ぼうとう]]が埼玉県北部の郷土料理であることにちなんでいる。
* 現在埼玉県では渋沢の功績にちなみ、健全な企業活動と社会貢献を行って活動に取り組んでいる全国の企業経営者に「[[渋沢栄一賞]]」を授与している。
 
== 栄典 ==