「ティファニーで朝食を」の版間の差分

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カポーティは、[[マリリン・モンロー]]を主役にすえることを条件に、映画化を了承した。ところが、出演オファーを受けたモンローは、娼婦役を演じることが女優としてのキャリアにマイナスになると考え、出演を断った。セックスシンボルと呼ばれることに強い抵抗を感じていたモンローは、これ以上、イメージが固定化することを嫌ったとされる。こうして、モンローとはまったく個性の異なるヘプバーンが主演を務めることになった<ref>[[川本三郎]]の『映画は呼んでいる』([[キネマ旬報社]])には’「縛り首の木」(59年)「蛇皮の服を着た男」(59年)を制作したプロデューサー、マーティン・ジュロウは彼女をこう説得した。「売春婦の映画を作りたいんじゃないんですよ」「我々が作りたいのは、夢見る人の映画なんです」。’と書いてある。</ref>。モンローのイメージに合わせて書かれていた脚本は、急きょヘプバーンの魅力が生かされるように書き直された。カポーティはヘプバーンが映画に主演すると聞いて、少なからず不快感を表したと伝えられる<ref>[[村上春樹]]訳『ティファニーで朝食を』(新潮社)訳者あとがき</ref>。
 
映画に大変不満だったカポーティだが、オードリーには直筆で
[[ジョニー・マーサー]]作詞・[[ヘンリー・マンシーニ]]作曲で劇中にヘプバーン自身が歌った挿入歌『[[ムーン・リバー]]』が有名であるが、原作中の歌とは異なる。映画完成後のパラマウント映画関係者向披露試写会で、就任したばかりのパラマウント映画の新社長は、歌のシーンはカットした方がよいと言い放ったと言うが、オードリーは立ち上がり「絶対にカットはさせません」と言って残されたシーンだったという事を、監督のブレイク・エドワーズが、1993年に発売されたドキュメンタリービデオ「想い出のオードリー・ヘップバーン」中のインタビュー映像で語っている。
 
“このたびは「ティファニーで朝食を」の映画への出演をご承諾いただき、大変うれしく思っております。脚本に対する意見もありませんし、脚本そのものをこれまで読む機会もありませんでしたが、オードリーもホリーもどちらもすばらしい女性なので、必ずやよい作品になることと信じております。”
 
という手紙を送っており、オードリーが大事に残していたその手紙は2004年から2005年に日本でも開催された“timeless audrey”展で本物が展示されていた。また、2006年に発行された写真集“audrey hepburn treasures”でもその手紙の複製が添付されている。
 
さらに当時ブレイク・エドワーズの妻だったパトリシア・スネルにホテルまで送ってもらった際には
 
「君の旦那に映画を監督してもらって、本当に、本当によかった。映画の出来が素晴らしくて感動した。ああいう映画になって満足だ」と言っていたと「ティファニーで朝食を」に関してもっと詳しく研究がされたサム・ワッソン著の「オードリー・ヘプバーンとティファニーで朝食を」(原著2010年発行)で述べられているが、パトリシアは本当は彼がどう思っているか知っている、と語っている。
 
だが、実際には後年のインタビューでカポーティは
 
“こんなにひどいミスキャストの映画は見たことがない。”
 
“あの役をオードリーがやると決まった時には、ショックで怒りに震えました。”
 
“ブレイク・エドワーズみたいな無能な監督を引っ張ってきて、あいつにはツバを吐きかけてやりたいくらいだ!”
 
“脚本は僕にどうかって話もあったんですよ。”
 
と述べているが、実際にはカポーティへの脚本の依頼はなされていない、と上記「オードリー・ヘプバーンとティファニーで朝食を」に書かれている。
 
 
[[ジョニー・マーサー]]作詞・[[ヘンリー・マンシーニ]]作曲で劇中にヘプバーン自身が歌った挿入歌『[[ムーン・リバー]]』が有名であるが、原作中の歌とは異なる。映画完成後のパラマウント映画関係者向披露試写会で、就任したばかりのパラマウント映画の新社長は、歌のシーンはカットした方がよいと言い放ったと言うが、オードリーは立ち上がり「絶対にカットはさせません」と言って残されたシーンだったという事を、監督のブレイク・エドワーズが、1993年に発売されたドキュメンタリービデオ「想い出のオードリー・ヘップバーン」中のインタビュー映像で語っていて、原著1996年発行のバリー・パリスなどのオードリー・ヘプバーンのいくつかの伝記でもヘンリー・マンシーニがオードリーが言ったということに長年なっていた
 
が、サム・ワッソン著の「オードリー・ヘプバーンとティファニーで朝食を」では、“控えめに言っても敵対的と言えるこんな態度は、どう考えてもオードリー・ヘプバーンの得意なレパートリーではない”として、ヘンリー・マンシーニ自身が書いた自伝では“オードリーは何か言いたそうに椅子の中でもぞもぞしていた” だけということが挙げられている。
 
実際にはプロデューサーであるリチャード・シェファードが「絶対にカットなんてさせないぞ。するなら俺を殺してからにしろ!」と言ったと判明したと明かされている。
 
[[川本三郎]]の『映画は呼んでいる』([[キネマ旬報社]])には映画評論家のジュディス・クリストの言葉が紹介してある。「この映画で我々は大人になりました」「無垢の時代は終わりを遂げました。突如、時代はセックスに対してオープンになる方向に動き始めました。[[1960年代|60年代]]になりかかっていたのです」。