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=== 日本の働く女性の歴史 ===
日本においては19世紀末から[[紡績|紡績業]]、[[製糸業]]等の工業化が進み繊維産業が日本経済の要となった。繊維産業は労働者の大多数を占める<!-- 割合は時代、地域、業種により異なる。 -->出発点となった[[富岡製糸場]]では女工と呼ばれる若年の女性労働者の待遇は比較的良好で、高収入であった。しかし、後に[[あゝ野麦峠]]のような長時間労働に支えられており、一般に女工の待遇は良くなか従事することもあった<ref>{{Cite web|author=櫻谷勝美 |year=2006|url=http://faculty.human.mie-u.ac.jp/~sakuradani/03roudou.pdf|title=第3章 労働力|format=PDF|work=日本経済史|publisher=[[三重大学]] 櫻谷勝美のホームページ|accessdate=2009-11-14|quote=製糸業の女工比率は91.9%(1901年 長野県205製糸工場), 紡績業の女工比率は78.1%(1901年 関西16紡績工場)、以後女工比率はさらに増加}}</ref>。<ref>続・あゝ野麦峠</ref>
 
しかし、[[蟹工船]]等の実態を踏まえた上で1916年に公布された[[工場法#日本の工場法|工場法]]による規制は、不十分なものであった。[[大正時代]]における紡績業では上限12時間労働と過酷なものであり、そのほか多くの問題があったことは細井和喜蔵の『[[女中傷哀史]]』(1925年)で広く知ら場には適用さ等問題もあった。工場法改正による労働者保護の強化など、1920年代にはこうした状況を改善する動きがあったが、日本経済が統制色、戦時色を強めるにつれ、忘れられていった<ref>{{Cite book |和書 |author=東條由紀彦 |title=日本歴史大事典|origyear=2000 |edition=CASIO 電子辞書「EX-word」XD-GF10000 収録 |year=2009 |publisher=小学館 |isbn=978-4095230016 |chapter=女工 }}</ref>。
 
[[ファイル:Women volunteer corps2.JPG |thumb|left|女子挺身隊。1944年9月。出典:[[毎日新聞社]]:'''別冊一億人の昭和史'''第26号『銃後の戦史 一億総動員から本土決戦まで』(1980年)]]<!-- 未確認 -->[[戦間期]]には[[第一次世界大戦]]中の設備投資や世界経済の好調により、工場以外でも女性の進出が進んだ。1920年には、働く女性の過半が専門職でその多くは既婚であったが、1930年には、[[未婚]]の事務職が中心となっていた<ref>前掲事典、千本暁子「職業婦人」</ref>。
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* 『[[女工哀史]]』([[ルポルタージュ]]、[[細井和喜蔵]]著、1925年)
* 『[[あゝ野麦峠|あゝ野麦峠 ある製糸工女哀史]]』([[ノンフィクション|ノンフィクション文学]]、[[山本茂実]]著、1968年)
*『続・あゝ野麦峠』
* 『[[魔法のプリンセス ミンキーモモ]]』(TVアニメ、総監督:[[湯山邦彦]]、原案・構成:[[首藤剛志]]、1982年)
* 『[[スタンドアップ (映画)|スタンドアップ]]』 原題:''North Country''([[アメリカ映画]]、監督:[[ニキ・カーロ]]、2005年)女性の炭鉱労働者をめぐる映画