「アルタ・カー・アンド・エンジニアリング・カンパニー」の版間の差分

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|創設者 = {{flagicon|UK}}[[ジェフリー・テイラー (エンジニア)|ジェフリー・テイラー]]
|スタッフ =
|ドライバー = {{flagicon|UK}}[[ジェフリー・クロスリー]]<br>{{flagicon|IRL}}[[{{仮リンク|ジョー・ケリー (レーサー)|en|Joe Kelly (racing driver)|label=ジョー・ケリー]]}}<br>{{flagicon|UK}}[[グラハム・ホワイトヘッド]]
|参戦年度 =
|出走回数 = 5
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アルタ・GPは戦前の設計を発展させたものであったが、1.5リッターエンジンを搭載し約230bhpを発揮、戦前の車と同じ4速プリセレクタのギアボックスを搭載していた。テイラーはウィッシュボーン、ゴムリンケージブッシュを採用し、独立サスペンションの設計を更に開発した。最初の車はプライベーターの[[ジョージ・アベカシス]]に提供され、1948年から1949年にかけて使用されたが、レースでフィニッシュしたのは1度のみであった。アベカシスはアルタ製エンジンを自身の[[ハーシャム・アンド・ウォルトン・モータース|HWM]]チームのマシンに、1951年から1955年まで採用した。
 
ボディワークやギアボックスの改良はその後の1949年、1950年に開発されたGP2、GP3で行われた。GP3には加えて2ステージのスーパーチャージャーが搭載された。それらは再び注文を受けて製作され、[[ジェフリー・クロスリー]]と[[{{仮リンク|ジョー・ケリー (レーサー)|en|Joe Kelly (racing driver)|label=ジョー・ケリー]]}}に供給された。クロスリーは[[1949年ベルギーグランプリ]]でGP2を使用したが、唯一7位に入ることができた。彼は1950年には[[モンテリ]]のサーキットの50マイル以上のコースで50kmと100kmのスピード記録を達成した。ケリーはアイルランドでのレースに集中し、最高位は1952年アルスター・トロフィーでの3位であった。両名とも[[1950年イギリスグランプリ]]に参加、これは初のF1グランプリへの参戦であったが、ケリーはフィニッシュしたものの完走扱いとはならなかった。クロスリーはトランスミッションのトラブルでリタイアとなった。
 
ケリーは後にGP3の大幅な改良とリビルドを行い、[[アイリッシュ・レーシング・オートモビルズ]](IRA)の車として1952年と1953年に使用した。最も大きな変更はアルタ製エンジンに替えて[[ブリストル・カーズ|ブリストル]]製ユニットを搭載したことであった。
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| [[1951年スペイングランプリ|ESP]]
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