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しかしここでは特に自由民権運動への弾圧や[[自由党 (日本 1881-1884)|自由党]]と[[立憲改進党]]の確執が深刻化した[[1883年]](明治16年)頃から活発化した活動家をさし、[[大同団結運動]]や[[三大事件建白運動]]、[[帝国議会]]開設と重大事件が続いた[[1890年]](明治23年)が最盛期であった。演説会における参加者の安全確保や警察や反対党による妨害活動の阻止、さらに[[サクラ (おとり)|サクラ]]的な役割などに活動し、[[星亨]]や[[大井憲太郎]]、[[尾崎行雄]]なども壮士を政治活動に活用した。
 
だが、壮士の中には[[仕込杖]]を携え、蓬髪高履姿で官憲や反対党に対して暴力行為に及ぶ者もおり、世論の批判を受けただけでなく、[[保安条例]]などの政府による弾圧の正当化にも利用された。一方で、[[川上音二郎]]の[[壮士芝居]]のような独創的な活動を起こす者もいた。
 
だが、[[明治憲法]]体制の安定化とともに壮士は姿を消していったが、[[院外団]]や[[大陸浪人]]に転じる者もいた。
 
== 脚注 ==