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* [[1928年]]、[[レオ・シラード]]、[[ユージン・ウィグナー]]、[[ジョン・フォン・ノイマン]]とともにソ連問題研究会をつくった。
* [[1932年]]、[[堀内寿郎]]とベルリンで出会い、その[[化学反応論]]に深く傾倒。
* [[1933年]]、[[ナチス]]の人種迫害を避けて英国に亡命。堀内寿郎らを連れて[[マンチェスター大学]]へ移った。物理化学者として219編の論文と1冊の著書を残したが、その内容は[[吸着]]のポテンシャル説の研究(最初の論文は1914年に書かれて50年間近く評価されなかった。現在ではシリカゲルや活性炭等の消臭効果等で知られている)・[[X線]]解析と[[結晶]]の研究・[[化学反応速度論]]の研究などと幅広い。{{要出典範囲|化学と物理学を明確に分けた論文(反応のポテンシャル曲面論)を認めさせた点でも高く評価されている|date=2019年4月}}
* [[1949年]]6月、突然、社会科学に研究主題を転向。[[ノーベル賞]]の候補者と目されていた中の転向で、物理化学者としての自分の発見の過程を整理した。科学哲学者として[[暗黙知]]や[[層の理論]]を提示し、新たな哲学を構築した。[[モーリス・メルロー=ポンティ]]以外、西欧哲学とはあまり接点がない。[[オックスフォード大学]]主任研究員等を歴任。
* [[1961年]]、大学を引退。