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[[File:La rue Luotsikatu, quartier de Katajanokka (Helsinki) (2769251000).jpg|thumb|250px|left|カタヤノッカの''Luotsikatu'']]
ヘルシンキはいくつもの湾や半島、島々に市街が広がっている。市街の中心は半島の南側に広がるが、実際の名称である{{仮リンク|ヴィロンニエミ|en|Vironniemi}}の名で呼ばれることはあまりない。多くのヘルシンキ中心部の外側は互いに森林の区画で分かれていたものが、戦後開発された郊外で構成されている。{{仮リンク|ヘルシンキ中央公園|en|Central Park (Helsinki)}}は中心部から北側の市境に延びる市民の憩いの場である。
ヘルシンキの大きな島には{{仮リンク|セウラ島|en|Seurasaari}}と{{仮リンク|ラウッタ島|en|Lauttasaari}}、{{仮リンク|コルケアサーリ|en|Lauttasaari}}(ヘルシンキ動物園)がある。他の重要な島には要塞の島である[[スオメンリンナの要塞|スオメンリンナ島]]や軍の島である{{仮リンク|サンタハミナ島|en|Santahamina}}がある。{{仮リンク|ピラヤ島|en|Pihlajasaari}}はゲイやナチュラリストにサマースポットとして好まれ、ニューヨークの{{仮リンク|ファイアーアイランド|en|Lauttasaari}}に匹敵する。
 
=== 都市的地域 ===
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ドイツの建築家{{仮リンク|カール・ルートヴィヒ・エンゲル|en|Carl Ludvig Engel}} (1778–1840)は新しい都市の中心を設計するよう任命された。エンゲルはいくつかのヘルシンキの[[新古典主義建築]]の建築物の設計に携わっている。エンゲルの都市計画の中心的なポイントは{{仮リンク|ヘルシンキ元老院広場|en|Helsinki Senate Square}}である。周辺には東側に{{仮リンク|フィンランド政府宮殿|en|Government Palace (Finland)}}、西側にヘルシンキ大学の本館、北側にエンゲルスが亡くなった12年後の1852年に完成した巨大な[[ヘルシンキ大聖堂]]がある。後にエンゲルスの新古典主義の都市計画に刺激され「北の白い都市」と形容されている。しかしながら、ヘルシンキは[[カレワラ]]の強い影響や1900年代初期にデザインされた[[ナショナル・ロマンティシズム]]に強く影響を受けた多くの[[アール・ヌーヴォー]]の建築物も同様におそらくより有名で、この時代ナショナル・ロマンティックアートではポピュラーなテーマであった。
 
ヘルシンキの新古典主義建築は{{仮リンク|カタヤノッカ|en|Katajanokka}}や{{仮リンク|ウッラリンナ''|en|Ullanlinna''}}などの大きな住宅地区の特徴にもなっている。フィンランドの新古典主義建築の巨匠である[[エリエル・サーリネン]](1873-1950)の代表作には[[ヘルシンキ中央駅]]がある。ヘルシンキのいくつかの建築物は世界的に著名な建築家である[[アルヴァ・アールト]]のものを特徴とし、[[機能主義 (建築)|機能主義]]建築の先駆者の一人として見なされている。しかしながら、彼の作品である製紙会社[[ストラ・エンソ]]の本社やコンサート会場である{{仮リンク|フィンラディアホール|en|Finlandia Hall}}は市民の間では意見が分かれる対象となっている<ref>{{cite web|url=http://helsinginaallot.blogspot.com/2007/02/stora-enson-pkonttori-kanavaranta-1.html|title=Stora Enson pääkonttori, Kanavaranta 1|date=2007-02-25|work="Helsingin Aallot" blog|language=Finnish|accessdate=2011-02-05}}</ref><ref>{{cite news|url=http://www.hs.fi/paakirjoitus/artikkeli/Kohtaako+Enson+konttori+voittajansa/HS20080614SI1MA01re3|title=Kohtaako Enson konttori voittajansa?|at=Lead editorial|date=2008-06-14|newspaper=[[Helsingin Sanomat]]|language=Finnish|accessdate=2011-02-05}}</ref><ref>{{cite web|url=http://www2.hs.fi/extrat/kulttuuri/rakennukset/rakennukset_c2.html|title=Kiasma nousi inhokkien ykköseksi|last=Penttilä|first=Vappu|work=Verkkoliite|publisher=[[Helsingin Sanomat]]|language=Finnish|accessdate=2011-02-05|archiveurl=https://web.archive.org/web/20110629165346/http://www2.hs.fi/extrat/kulttuuri/rakennukset/rakennukset_c2.html|archivedate=2011年6月29日|deadurldate=2017年9月}}</ref>。
ヘルシンキの他の有名な機能主義の建築物には[[ヘルシンキ・オリンピックスタジアム]]や{{仮リンク|テニスパラッツィ|en|Tennispalatsi}}、ボートレース場、{{仮リンク|ヘルシンキスイミングスタジアム|en|Helsinki Swimming Stadium}}、自転車競技場、{{仮リンク|ラシパラッツィ|en|Lasipalatsi}}(ガラスの宮殿)、トスポーツホール''Töölön kisahalli''、ヘルシンキ・マルミ空港などがある。スポーツ競技場は1940年に開催が予定されていたヘルシンキオリンピックの会場として整備されたが、第二次世界大戦の影響により中止されたが1952年に開催されたヘルシンキオリンピックの会場としての目的として全てを満たすため整備された。歴史的な挿話としてヘルシンキの新古典主義の建築物は、多く冷戦時代にハリウッドの映画でソ連を背景として設定されたシーンでソ連では撮影が不可能だったのでしばしば使われた。有名な作品には{{仮リンク|クレムリンレター|en|The Kremlin Letter}}(1970)、[[レッズ (映画)|レッズ]](1981)、[[ゴーリキー・パーク]](1983)がある。いくらかの街並はサンクトペテルブルクやモスクワの古い建築物を思い出させ、商業映画に利用されることは多くの住民を失望させた。同時に政府は密かにフィンランドの当局にこのような映画の企画の支援の延長を行わないことを指示していた<ref name="mtv3erittainsalainen">Ministry for Foreign Affairs of Finland, Political Department: {{PDFlink|[http://img.mtv3.fi/mn_liitteet/mtv3/uutiset/bulleting/300538.pdf Memo 56 of 20 January 1982 (labelled highly confidential in 1982)]|1.37&nbsp;MB}}</ref>。
 
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=== 言語 ===
[[フィンランド語]]と[[スウェーデン語]]はヘルシンキ市の公式の言語である。人口の多数の82.5%<ref name="hel2.fi">http://www.hel2.fi/tietokeskus/julkaisut/pdf/12_06_28_Tilastoja_23_Peuranen.pdf</ref> はフィンランド語を話し[[母語]]としている。人口の6.0%は{{仮リンク|フィンランド・スウェーデン語|en|Finland Swedish}}を話している。11.5%はフィンランド語やスウェーデン語以外の言語を母語としている。{{仮リンク|ヘルシンキスラング|en|Helsinki slang}}はフィンランド語やフィンラド・スウェーデン語、ロシア語から影響を受けている。フィンランド語は今日ではフィンランド語話者やスウェーデン語話者、他の言語話者(移民など)との間の日々の業務など公共の場でのコミュニケーションの共通の言語である。話者にフィンランド語の知識がない場合では、英語が通常話されている。スウェーデン語は市や国の機関では特にフィンランド・スウェーデン語話者を目的に{{仮リンク|ハメーンティエ|en|Hämeentie}}の社会福祉部門や{{仮リンク|カンピ|en|Kamppi}}のルッカン文化センターなどで使われている。フィンランド語の知識は必要不可欠であり、通常は雇用市場では基本的な必要条件である<ref>{{cite web|url=http://yle.fi/uutiset/teksti/news/2010/11/immigrants_learning_swedish_over_finnish_run_into_problems_2114684.html |title=Immigrants Learning Swedish over Finnish Run into Problems &#124; News &#124; YLE Uutiset |publisher=yle.fi |date= |accessdate=2011-09-16}}</ref>。フィンランド語話者は1890年にスウェーデン語話者を上回りヘルシンキの人口の多数派になった<ref>{{cite web|url=http://scripta.kotus.fi/www/verkkojulkaisut/julk125/helsinki/ |title=Helsingin nimistön vaiheita |publisher=Scripta.kotus.fi |date= |accessdate=2010-04-13}}</ref>。当時のヘルシンキの人口は61,530人であった <ref>[http://igs.kirjastot.fi/iGS/kysymykset/haku.aspx?word=Viipuri IGS.kirjastot.fi] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20120504201358/http://igs.kirjastot.fi/iGS/kysymykset/haku.aspx?word=Viipuri |date=2012年5月4日 }}</ref>。現在ではフィンランド・スウェーデン語話者に代わってロシア語話者がフィンランドでは増加しており、数の上ではスウェーデン語話者に近づきいずれ上回ることも予想されている<ref>{{cite web|url=http://www.alaskadispatch.com/article/20130514/russian-language-expanding-rapidly-finland|title=Russian language expanding rapidly in Finland|publisher=alaskadispatch.com |date=2010-05-13 |accessdate=2013-05-19}}</ref>。
 
=== 移民 ===
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== 経済 ==
[[File:Kamppi Center II.jpg|thumb|{{仮リンク|カンピセンター|en|Kamppi Center}}はヘルシンキ中心部のショッピングセンターと交通の複合施設。]]
ヘルシンキには[[フィンランド銀行]]がある。ヘルシンキ都市圏地域はフィンランドのGDPのおよそ3分の1を生み出し、1人当たりのGDPは全国平均の約1.3倍に達する<ref>[http://www.helsinginseutu.fi/hki/hs/The+Region+of+Helsinki/City+information+and+statistics/Helsinki+Region+Statistics Helsinki Region Statistics] Retrieved 2010-12-10.</ref>。フィンランドの100社の大企業のうち83社は大ヘルシンキ圏に本社を置いている。これは国際的なつながりや物流網、労働力が利用出来ることによる。しかしながら、いくつかのノキアなどを含む主要な企業はエスポーなど近隣の都市に本社を置いている。ヘルシンキを拠点とする主要な企業には大手通信企業の{{仮リンク|ELISA社|en|Elisa (company)}}やメディア企業[[ヘルシンギン・サノマット]]、大手流通グループKesko、小売業者HOK-Elanto、デパートチェーン[[ストックマン]]などがある。20世紀半ばまで、ヘルシンキはフィンランドの工業の重要な中心と見なされて来たが、1960年から1980年の間、工業部門の多くの雇用は半分に減った。
 
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== 教育 ==
[[File:Helsingin yliopiston päärakennus.jpg|right|thumb|220px|[[ヘルシンキ大学]]本館]]
[[File:Helia 2005-10-05.jpg|right|thumb|220px|{{仮リンク|ハーガ-ヘリ応用科学大学|en|Haaga-Helia University Of Applied Sciences}}はフィンランド最大のビジネスポリテクニック。]]
ヘルシンキには190の総合中等学校と41の高等学校、15の職業訓練機関がある。41の高等学校の半数は私立か国立で、残りの半数は自治体運営の公立である。高等教育は8の大学と4の[[ポリテクニック]]により提供されている。