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ナリブ (会話 | 投稿記録)
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: [[声優|声]] - [[大塚明夫]]
: 本名:山形勲(やまがた いさお)<ref>外伝では山'''縣'''になっている。</ref>
: 本作の主人公。身長185cm、体重152kg<ref>モーニングKC版28巻、255ページ</ref>「土俵の上では力こそが全て」という信念を持ち、「観客本位の吊り屋根」「放送のための仕切り時間制限」などの「[[創られた伝統]]」を批判、土俵の内では自分に負けた相手に対して内容に関係なく暴言を放ったり、制裁に近い[[駄目押し]]を加えるなど、[[角界]]の禁をことごとく破る、まさに掟破りの土俵の鬼神。第1話で早くも仮面をかぶって土俵入りし、「どんな負け方でも一敗でもしたら<ref>横綱昇進前は何度か負けている</ref>、その日限りで引退する」と豪語そしてその言葉どおりに連勝を続ける。初場所編の[[千秋楽]]にて、「大相撲を解散する」と称し、[[日本相撲協会|相撲協会]]と決別する。後に「播磨灘道場」を旗揚げし、相撲協会と対決する意味で、7月場所と同じ時期に「播磨十[[番勝負]]」という自主興行を起こした。最終的には作中全戦無敗の64連勝まで続いたが、播磨灘が目標としていた双葉山の69連勝を超えるところまでは描かれることはなかった。その後、相撲協会側が敗北を認め、播磨灘に戻ってきてほしいと懇願する所で話は幕を閉じている。
: 驚異の四股を踏む強靭な足腰と怪力を生み出す上体を併せ持ち、得意技は[[呼び戻し]]・[[吊り落とし]]・[[櫓投げ]]と、いずれも現実では滅多に見られない大技ばかりである。呼び戻しに関しては秋場所の大江川戦で決まり手として宣告された(突き倒しではないかという声も聞かれた変則の型)ことを境に徹底して探求を続けた結果自身の十八番とし、その稽古の過程で素早く相手の体重移動を感知する相撲勘が磨かれた。[[横綱土俵入り|土俵入り]]の型は不知火型。初土俵時の[[四股名]]は、'''山形山'''(やまがたやま)。<!---生年月日は[[1961年]][[4月2日]] - [[1962年]][[4月1日]]の間と思われる。--->
: 土俵の外でも自らの我を貫き通す傍若無人っぷりを見せており、親方の雷光もその暴走を抑えきれず、部屋の弟子たちは恐れ慄いている。また大食漢の大酒飲みであり、場所中にも一晩で酒を一斗飲むこともある。ただし、強面で誤解されやすいが、善良な部分が全く無いという訳ではなく、「年寄りは国の宝」と称して困っている老人に優しくしたり、心労で倒れた母を見舞うべく試合までに時間が無いにも関わらず彼女のいる故郷に向かって元気になるよう四股を踏んだりもしている。また、2人の弟子たちが自分と同様に優勝した際は、自分の優勝祝いに鯛を持ってきた魚屋に対し「2匹足りん」と言って弟子達の事も労うよう計らう等、粋な面も見せている。亜希子が能面を被って突然嫁ぎに現れた際も、自分に通じる物を感じ入ったのか、あっさりと嫁にする等、懐の広さを見せており、彼女が自身の子をなした際にも祝福している。しかし、普段の傍若無人さが目立つ為か、そういった面等を理解している者は数限られており、相撲協会では唯一の理解者であった大河内が死んだ後は、自分なりのやり方で彼の供養を行っている。
: 普段の言動や仮面を被ったパフォーマンスとは裏腹に、相撲への情熱や力士としての信念は真摯そのもの。負けた相手に容赦の無い罵声を浴びせたり、試合で勝ったにも拘らず強い不満を見せる姿からも、互いに妥協する事の無い全力での相撲を求めている節がある。また、負ければ引退する宣言だけでなく、自分以外の力士や相撲協会、そして観客を始めとする相撲を愛する人間達全てを敵に回す事を厭わない姿勢も、自分をあえて追い込む事で常に全力で相撲を挑もうとする覚悟の現われと取れなくも無い。一方、自身を満足させないどころか勝つ事を考えない相撲をする者に対しては本気で怒りを見せ、特に竜雲との試合では、勝つ事よりも自身の予告を外す事を優先してわざと負けようとした醜態に激昂。予告通りの形で叩きのめした上で「それでも力士か!」と罵倒している(これには基本的に播磨を嫌う愛宕山ですら、同様の怒りを竜雲にぶつけた)。
: 初場所編の[[千秋楽]]にて、「大相撲を解散する」と称し、[[日本相撲協会|相撲協会]]と決別する。後に「播磨灘道場」を旗揚げし、相撲協会と対決する意味で、7月場所と同じ時期に「播磨十[[番勝負]]」という自主興行を起こした。最終的には作中全戦無敗の64連勝まで続いたが、播磨灘が目標としていた双葉山の69連勝を超えるところまでは描かれることはなかった。その後、相撲協会側が敗北を認め、播磨灘に戻ってきてほしいと懇願する所で話は幕を閉じている。
: さだやす圭作品の主人公の例に漏れず、関西出身(兵庫県播磨市出身<ref>「播磨」は現在の兵庫県南西部を包含する[[旧国名]]だが「播磨市」という地名は実在しない。</ref>)であり、[[関西弁]]をしゃべる。また初出時と比較すると、10話以内で著しく顔つきが変化してしまい、額の三本傷が面影を残すものの顔つきはほぼ別人となる。昭和中期に活躍した俳優の[[山形勲]]と同姓同名であるが、命名した作者の意図は不明である。
; 雷光親方(らいこう)
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: 自ら能面を被って深夜に雷光部屋を訪れ、播磨灘に嫁入りを志願。仮面のまま電撃的な婚約発表をした。九州場所後、正式に結婚する。美人でしっかり者の誉れ高き女性。婚約会見でも[[能面]]を着けていたため、後に'''「能面女」'''とあだ名されることになった。能面は記者会見のときに播磨灘に割られ、素顔をさらして以降は着用していない。結婚後は播磨と共に部屋に住みつき、台所も手伝う様子が見られた。十番勝負の開催期間中に播磨の子を身籠ったことが明らかになり、播磨から祝福を受けた。
; 北条(ほうじょう)
: 相撲一筋数十年のベテラン記者。その相撲愛から太刀風ら横綱や親方衆でも一定の敬意を払う存在であるのだが、それ故に自らの美意識や価値観基づいたそう相撲こそが相撲の正しいあり方と見ている等、時折傲慢さを感じさせる面も見せる。
: 当初から破天荒過ぎる播磨の事を「ただの破壊者」、「日本の伝統を壊す日本の敵」と断じて毛嫌いしているが、その存在感から終始張り付き、相撲協会と同様、彼を角界から追い出す為の機会を伺っている。彼の試合では常に対戦者を賛美し、播磨には嫌味めいたコメントを言ったりしているが、結局は彼の凄まじい迫力に押されて結局怯んでしまう等、情けない面見せている。播磨の理解者であった大河内が心筋梗塞で亡くなったのも播磨が全て悪いと決め付けて批判し播磨が千秋楽で勝ち上がった際も「相撲を知っている人間なら、こんなに悔しくて、悲しい事は無い」と陰口を叩いている等、播磨に関してはとにかくと言って良い程否定の姿勢を貫く
: しかし、その行き過ぎた播磨への敵愾心や偏見から、彼の力士としての本質を見抜けずにいる部分も目立っており、播磨の格式や様式美を無視した過激なパフォーマンスばかり注視して彼の圧倒的な力技で試合を制している力士としての規格外な実力を見ようとしなかったり、播磨の理解者であった大河内が心筋梗塞で亡くなったのも播磨が全て悪いと決め付けたりしておらず、同じく播磨を敵視しながらも実力を素直に評価している愛宕山とは、こういう部分で違いを見せている。同僚の記者達からも、播磨を過度に敵視する公平さに欠けた態度に難色を示されており、デスクからは「お前の目には30年間の垢が付いている。色眼鏡を外してよく見ろ」と指摘されている。また、相撲界のサラブレッドとして期待していた武乃富士が播磨に返り討ちで敗れた際は、「サラブレッド転じて駄馬一匹となるか」と、身勝手な掌返ししている。
; 八田登(はった のぼる)
: [[暴力団]]九州玄界組組長。九州場所中に、ちょっとした[[交通事故]]で播磨灘と偶然出会う。この後の宴会の末に播磨灘に魅了され、以後すべてを捨てて播磨に尽くすようになる。その八田に対して播磨の方でも全幅の信頼を置いており、播磨が立ち上げ興行を行う際には看板の揮毫を任されている。