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このように植民地時代のチリでは先住民との戦いや、[[海賊]]の襲撃による断続的な戦いが続いた。山脈や砂漠により、周辺地域から遮られた孤島のような地形のチリでの主産業は、ペルー向けの[[コムギ|小麦]]の生産などとなった。これは入植者に地道で手間のかかる農業を厭わない堅実な気質を育み、徐々に独自の経済圏としてのアイデンティティを確立していくことになった。
 
[[1776年]]、ボルボン改革によって<nowiki>[[ペルー副王領]]</nowiki>から[[リオ・デ・ラ・プラタ副王領]]が分離されると、理論上ではチリ総督領が領有していたとされた、現在アルゼンチン領となっている部分も含めての[[パタゴニア]]全土がラ・プラタ副王領の管轄下に入り、チリの国土は現在の「刀の鞘」のように細長くなった。<ref>{{cite web|url=http://www.ine.cl/canales/usuarios/cedoc_online/censos/pdf/censo_1813.pdf |title=INE – Censo de 1813. Introducción |format=PDF |accessdate=2010-01-08}}</ref>
 
=== 独立と保守支配 ===