「イエス・キリスト」の版間の差分
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[[File:Christ Pantocrator, Church of the Holy Sepulchre.png|thumb|『[[全能者ハリストス]](キリスト)』([[聖墳墓教会]]のドーム内)]]
{{Jesus}}
'''イエス・キリスト'''([[紀元前6年]]ないし[[紀元前4年]]頃 - [[30年|紀元後30年]]頃<ref>[http://global.britannica.com/biography/Jesus Jesus | Britannica.com]</ref>、{{lang-el|Ίησοῦς Χριστός}}<ref>[[古典ギリシャ語]]再建例: イエースース・クリストース、[[現代ギリシャ語]]転写例: イイスス・フリストース</ref>
本項では、ナザレのイエスについての[[キリスト教]]における観点とその他について述べる。
かつての[[カトリック教会]]では、イエスは「'''イエズス'''」と[[日本語]]で表記されていた。
== 概要 ==
[[キリスト教]]の多くの[[キリスト教諸教派の一覧|教派]]
「'''イエス'''」は人名。[[ヘブライ語]]から[[ギリシャ語]]に転写されたもの
「'''キリスト'''」は「膏をつけられた者」という意味の、救い主の称号。膏をつけられるのは[[旧約聖書]]において王・預言者・祭司であったが、
{{Main|キリスト三職務}}
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[[File:JesusYeshua2.svg|thumb|左上から順に、[[アラム語]]、[[ヘブライ語]]、[[ギリシャ語]]、[[ラテン語]]、[[英語]]でそれぞれ「イエス」を意味する文字列]]
=== イエス ===
イエスは、「'''イエースース'''
元の語は、[[アラム語]]のイェーシューア
これらのギリシア語表記の語尾は[[主格]]形であり、[[格変化]]すると異なる語尾に変化する。日本語の慣例表記「イエス」は、古典ギリシア語再建音から、日本語にない固有名詞の[[格変化]]語尾を省き、名詞幹のみとしたものである。
中世以降から現代までのギリシャ語からは「'''イイスス'''」と転写し得る。[[日本正教会]]がもちいる「'''イイスス'''
かつての日本の[[カトリック教会]]では[[ロマンス語]]の発音から'''イエズス'''という語を用いていたが、現在では[[エキュメニズム]]の流れに沿ってイエスに統一されている<ref>これは、[[プロテスタント]]を初めとする他[[キリスト教諸教派の一覧|教派]]と共同で[[翻訳]]した『[[共同訳聖書]]』に「イエスス」を用いたところ内外からの批判が多く、後続版である『[[新共同訳聖書]]』では「イエス」(一部はメシア)に統一されたことによる。</ref>。[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]から[[江戸時代]]初期にかけての[[キリシタン]]は、[[ポルトガル語]]の発音から'''ゼズ'''または'''ゼズス'''と呼んでいた。
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=== キリスト ===
{{Main|キリスト}}
=== イエス・キリスト ===
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しかしキリスト教の歴史の早い段階において、「キリスト」が称号としてではなくイエスを指す固有名詞であるかのように扱われはじめたことも確かであり<ref>[[ブルトマン]]はギリシア語:{{lang|el|Χριστός}}が、翻訳されることなくChristusとしてラテン語に導入されたことを固有名詞化の一根拠としている。 R.Bultmann 1961 Theologie des neuen Testaments</ref>、パウロ書簡においてすでに「キリスト」が固有名詞として扱われているという説もある<ref>R.ブルトマン 同上 </ref><ref>[[フィリピの信徒への手紙|フィリピ]]3:20などに「主イエス・キリストが救い主として来られる」とある。ここでパウロが「キリスト」を称号として用いていたと想定すると、この句は単なる同語反復になる。</ref>。
== イエス・キリストとは何者か
以下、イエス・キリストとは何者かについて、[[正教会]]、[[カトリック教会]]、[[聖公会]]、[[プロテスタント]]に共通する見解を、主に教派ごとの出典に基づいてまとめる。
* イエス・キリストはただ一人の[[神の子]]である<ref name="JCOC">[[正教会]]からの参照:[http://oca.org/OCchapter.asp?SID=2&ID=17 Jesus Christ], [http://oca.org/OCchapter.asp?SID=2&ID=18 Son of God], [http://oca.org/OCchapter.asp?SID=2&ID=19 Incarnation]([[アメリカ正教会]])</ref><ref name="JCRC">[[カトリック教会]]からの参照:[http://www.newadvent.org/cathen/14597a.htm Christology]([[カトリック百科事典]])</ref><ref name="JCAC">[[聖公会]]からの参照(但しこの「[[39箇条]]」は現代の聖公会では絶対視はされていない):[http://www5.ocn.ne.jp/~f-frank/39kajyo.html 英国聖公会の39箇条(聖公会大綱)一1563年制定一]</ref><ref name="JCLC">[[ルーテル教会]]からの参照:[http://cyclopedia.lcms.org/display.asp?t1=C&word=CHRISTJESUS Christ Jesus.(Edited by: Erwin L. Lueker, Luther Poellot, Paul Jackson)]</ref><ref name="JCRP">[[改革派教会]]からの参照:[http://www.ogaki-ch.com/WCF/text/index.htm ウェストミンスター信仰基準]</ref><ref name="JCBT">[[バプテスト]]からの参照:[http://www.ccel.org/creeds/bcf/bcfc02.htm#chapter2 Of God and of the Holy Trinity.], [http://www.ccel.org/creeds/bcf/bcfc08.htm#chapter8 Of Christ the Mediator.] (いずれも[http://www.ccel.org/creeds/bcf/bcf.htm#confession The 1677/89 London Baptist Confession of Faith])</ref><ref name="JCJG">[[メソジスト]]からの参照:[[フスト・ゴンサレス]] 著、[[鈴木浩 (神学者)|鈴木浩]] 訳『キリスト教神学基本用語集』p73 - p75, [[教文館]] (2010/11)、ISBN 9784764240353</ref>。
* この神の子は[[
* 神の子は、[[三位一体]]
* イエス・キリストは神の子が[[受肉]]
** 一つの位格
== イエス伝 ==
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[[File:Brooklyn Museum - The Presentation of Jesus in the Temple (La présentation de Jésus au Temple) - James Tissot - overall.jpg|thumb|right|160px|『イエスの神殿への奉献』([[1886年]] - [[1894年]]頃の作品、[[ジェームズ・ティソ]], [[:en:James Tissot]])]]
[[ナザレのヨセフ|ヨセフ]]の婚約者であった[[イエスの母マリア|マリア]]は、[[結婚]]前に聖霊により身ごもった。[[紀元前4年]][[12月25日]]、天使の御告によりヨセフはマリアを妻に迎え男の子が生まれ、その子をイエスと名づけた。キリスト教ではこの日を記念し[[クリスマス]]として祝う。
* [[受胎告知]]
* [[処女懐胎]]
* [[キリストの降誕|降誕]]([[クリスマス]]) [[s:ルカによる福音書(口語訳)#2:4|ルカ 2:4]]
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* エジプトからの帰国
イエスはガリラヤ地方の[[ナザレ]]で育つ。ルカの[[福音書]]によれば、大変聡明な子であったという。
* [[神殿奉献]]
* [[イエスの幼少時代]] [[s:ルカによる福音書(口語訳)#2:41|ルカ 2:41]]
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荒野での試練の後イエスは[[ガリラヤ]]で宣教を開始する。また弟子になった者の中から12人の弟子を選び、彼らに特権を与えた。[[十二使徒]]と呼ばれる。
その後、イエスと弟子たち、また彼らを支える女性たち
* [[山上の垂訓]] [[s:マタイによる福音書(口語訳)#5:1|マタイ 5:1]] [[s:ルカによる福音書(口語訳)#6:20|ルカ 6:20]]
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** 祭司長、{{仮リンク|律法学者|en|Scribe}}、[[長老]]たち、[[サドカイ派]]との問答 [[s:マルコによる福音書(口語訳)#11:27|マルコ 11:27]] [[s:マタイによる福音書(口語訳)#21:23|マタイ 21:23]] [[s:ルカによる福音書(口語訳)#20:1|ルカ 20:1]]
** [[エルサレム神殿|神殿]]の境内で姦通の女を[[石打ち|石打ちの刑]]から救う [[s:ヨハネによる福音書(口語訳)#8:1|ヨハネ 8:1]]
* [[オリーブ山の説教]]
=== 受難、死、復活、昇天 ===
[[画像:Ночь на Голгофе.jpg|thumb|right|230px|『[[ゴルゴタの丘|ゴルゴファ(ゴルゴタの丘)]]の夕べ』[[ヴァシーリー・ヴェレシチャーギン]]による([[1869年]])、[[ハリストス]](キリスト)の埋葬準備の光景]]
[[File:Chora Anastasis2.jpg|thumb|330px|[[フレスコ画]][[イコン]]『[[復活 (キリスト教)|主の復活]]』([[カーリエ博物館]]蔵)。[[キリスト]](ハリストス)が[[アダム]]と[[イヴ]]の手を取り、地獄から引き上げる情景。旧約の時代の人々にまで遡って[[復活 (キリスト教)|復活]]の生命が主・神であるハリストスによって人類に与えられたという『[[キリストの地獄への降下|ハリストスの地獄降り]]』と呼ばれる[[正教会]]の伝承による。]]
* [[過越]]の食事
* [[ゲツセマネの祈り]]
* [[キリストの捕縛|イエスの逮捕]]
* [[キリストの裁判|イエスの裁判]] [[s:マルコによる福音書(口語訳)#14:53|マルコ 14:53]] [[s:マタイによる福音書(口語訳)#26:57|マタイ 26:57]]
* [[ヴィア・ドロローサ|十字架の道行き
自らを[[ユダヤ人]]の王であると名乗り、また「神の子」あるいは[[メシア]]であると自称した罪により、
その後、[[十字架]]からおろされ墓に埋葬されたが、3日目に[[復活 (キリスト教)|復活]]し、大勢の弟子たちの前に現れた。肉体をもった者として復活したと聖書の各所に記されている。
* [[キリストの磔刑|磔刑
* [[十字架上のキリストの最後の7つの言葉|十字架上のイエスの最後の7つの言葉]]
* [[キリストの墓|イエスの墓]] [[s:マルコによる福音書(口語訳)#15:42|マルコ 15:42]] [[s:マタイによる福音書(口語訳)#27:57|マタイ 27:57]]
* [[復活 (キリスト教)|復活]] [[s:マルコによる福音書(口語訳)#16:9|マルコ 16:9]] [[s:マタイによる福音書(口語訳)#28:9|マタイ 28:9]] [[s:ヨハネによる福音書(口語訳)#20:11|ヨハネ 20:11]]
** [[:en:Great Commission|弟子たちに福音の宣教を命じる
[[正教会]]、[[カトリック教会]]、[[プロテスタント]]など多くの[[キリスト教諸教派の一覧|教派]]で、キリストの死者の中からの復活は、初期キリスト教時代からの教えの中心的内容とされており<ref name="RCcate298">カトリック中央協議会(2002年)『[[カトリック教会のカテキズム]]』298頁 - 299頁、ISBN 4877501010</ref><ref name="san730">J. Radermakeres, P. Grelot(1987年10月20日)『聖書思想事典』730頁 - 735頁 [[三省堂]]</ref><ref name="OCJcate52">[[日本ハリストス正教会]]教団(昭和55年)『[[正教要理]]』52頁 - 55頁</ref><ref name="iwa3">[http://homepage3.nifty.com/t-iwasi/np/01.html イエスが父と呼んだ神 第三回 ナザレのイエスへのアプローチ] ([[岩島忠彦]]:[[上智大学]]神学部教授)</ref>、多くの教派で[[復活祭]]は、[[降誕祭]](クリスマス)と同等か、もしくは降誕祭より大きな祭として祝われる。
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== 歴史的人物 ==
[[歴史学]]の近代的な研究手法が19世紀以降、[[福音書]]の研究に用いられてから、イエス・キリストの歴史学的研究は幾つかの時代を推移した。当初は[[合理主義]]による偏見、また20世紀には酷評的な研究手法を経た現代では、イエス・キリストに関する研究はより肯定的で寛容と言える。前世紀中頃、[[懐疑主義]]にみまわれたイエス・キリストの研究はその懐疑主義を脱したと言える。現代では、イエス・キリストが実在した歴史学的及び文学的背景についてより多くの知見が得られている。これは、[[福音書]]関連文学、すなわちイエス・キリストと同時期のユダヤ文学及び福音記者
他方で、古代ギリシャ・ローマに関する研究からは、古代ギリシャ思想がイエス・キリストのガリラヤ地方へ及ぼした影響、すなわちガリラヤ地方と古代ギリシャ文化の接点についてより深く知ることができる。また、恐らく正典福音書より後に記載されたであろう外典福音書の内容、並びに2世紀の他のキリスト教及びユダヤ教書物は、イエス・キリストの時代の慣習を分析し、福音書の記載をより適切な背景に位置づけることを可能とした。更に、最近の考古学的発掘も、歴史におけるイエス・キリストの研究に貢献している。特にガリラヤ地方における発掘は、古代ギリシャ文化を承継している1世紀のパレスチナ地方の文化を明示するうえで興味深い。最後に、これらの史料をより深く理解するために、歴史学並びに聖書注釈に関する近代的な研究手法が適
== 脚注 ==
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