「連合国軍最高司令官総司令部」の版間の差分

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[[1948年]](昭和23年)春、日本の教育状況と日本語に対する無知、さらに[[人種差別|人種的偏見]]や文化的偏見から、「[[日本語]]は漢字が多いために覚えるのが難しく、[[識字率]]が上がりにくいために[[民主化]]を遅らせている」と考えた[[民間情報教育局]](CIE)の世論社会調査課長である[[ジョン・ペルゼル]]<ref>[http://kotobank.jp/word/%E3%83%9A%E3%83%AB%E3%82%BC%E3%83%AB ペルゼル とは - コトバンク]</ref> の発案で、日本語を[[ローマ字]]表記にしようとする計画が起こされた。
 
なおベルセルは、[[大学院]]で[[人類学]]の[[修士号]]を取得した人類学者で、戦前には考古学的調査プロジェクトに参加して日本を訪れたことがあったものの、近代の日本の教育については全くの無知であり、日本人の学習意識が高く、古くから[[イギリス]]や[[ドイツ]]、[[フランス]]などの他の[[先進国]]に比べて識字率が高かったうえに、[[1872年]]に[[学制]]から始まった[[義務教育]]推進運動が進み、[[1915年]]には[[尋常小学校]]の通学率が90%を超えるなど、学齢期の国民の就学が普遍化していたことを知らなかった。
 
当時東大助手だった言語学者の[[柴田武]]は、民間情報教育局の指示によってこの読み書き全国調査のスタッフに選ばれ、漢字テストの出題を任された。これは日本初の「[[無作為抽出]]法(ランダムサンプリング)」の実施でもあり、統計数理研究所研究員の統計学者だった[[林知己夫]]が被験者のサンプリングを行った。