「大和ヒロシ」の版間の差分

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== 経歴 ==
小学校3年生時に町内の少林寺拳法道場に入門<ref>「千葉アスリート列伝」(『千葉日報』2015年6月17日14面)</ref>。中学時代は[[バスケットボール]]と[[サッカー]]に励み、高校から大学までは[[アマチュアレスリング|レスリング]]部で活躍。[[千葉県立君津青葉高等学校|君津青葉高校]]3年生のときに千葉県高校総体で85キロ級優勝<ref>「千葉アスリート列伝」(『千葉日報』2015年6月17日14面)</ref><ref>{{cite web|url=http://www.chiba-koutairen.com/event/kensoutai/13kensoutai.pdf#search='%E4%B8%89%E5%8E%9F%E5%BC%98%E5%97%A3+%E5%90%9B%E6%B4%A5%E9%9D%92%E8%91%89'|title=第54回千葉県高等学校総合体育大会|publisher= |author= |date= |accessdate=2012-12-27 }}</ref>、その年の国体ではグレコローマンでベスト16入り<ref>「千葉アスリート列伝」(『千葉日報』2015年6月17日14面)</ref>。大学時には[[ジュニアオリンピック|JOC杯ジュニアオリンピック]]76kg級で3位の成績を上げている<ref>{{cite web|url=http://www.japan-wrestling.org/date/2002/joc/000.htm |title=2002年JOC杯ジュニアオリンピック成績
|publisher= |author= |date= |accessdate=2012-12-27 }}</ref>。2006年に行われた『[[武藤塾]]』の新人オーディションに合格し[[全日本プロレス]]に入門。合格ラインはギリギリであったが、自己アピールで得意の[[滝口順平]]と[[いっこく堂]]のモノマネを披露し、それが合格の決め手となった。「大学時代にバイトで綿あめ売りをしていた時に、余興でやっていたものまねが役に立った」<ref>「千葉アスリート列伝」(『千葉日報』2015年6月17日14面)</ref>。
 
2007年2月に、同期入門の[[境敦史|KAI]]と共にメキシコ修行に出る。2月22日に、IWRGにて'''YAMATO'''のリングネームでデビュー。KAIとのタッグで見事に初試合で初勝利を挙げている。ちなみに本人は試合中に記憶が飛び、気づくと控え室にいてKAIから試合が終わったという事実を聞いたという。
 
6月3日、KAI、元SUPER CREWの[[佐々木大輔 (プロレスラー)|SASAKI]]と組んでIWRGトリオのタイトルに挑戦するも破れる。
 
7月26日[[メキシコシティ]]にて、30人で争ったREY DEL RING王座を奪取。デビュー5か月で早くも初タイトルを獲得した。
かつて近藤の盟友であった、[["brother"YASSHI]]のようなコンビプレーを見せ、当の近藤から『人間凶器』と呼ばれる。
 
また、このタッグで7・1酒田大会ではTARU&[[ネルソン・フレイジャー・ジュニア|ビッグ・ダディ・ブードゥー]]のアジアタッグ王座にも挑戦している。
8月シリーズでは、またもVMとの敗者チームキャプテン髪切りマッチに敗北し、坊主頭となった。
 
2011年1月23日、結婚していたことを武藤敬司に暴露された。
 
1月24日、CSスポーツ放送局[[GAORA]]スーパーファイトにて、[[DRAGON GATE]]所属の[[YAMATO]]とシングルマッチを組まれる。結果は敗北したが、何故か試合前に鼻血を流すなど、相当のインパクトを他団体ファンもいる中残した。
 
=== 情熱バカレスラー ===
* 自身がバーテンを務める、“大和バー”なるイベントを時々、場所を変えて開催している。第一回は[[北千住]]のダイニングバー・カズ(オーナーは[[カズ・ハヤシ]])にて[[2009年]][[9月23日]]開催。その後、渋谷、君津、千葉などで開催されている。
* “大和”つながりで、以前より訪問を希望していた[[広島県]][[呉市]]の[[呉市海事歴史科学館|呉・大和ミュージアム]]に[[2011年]][[6月22日]]初来訪。1/10スケールの[[大和 (戦艦)|戦艦大和]]を見た感想は、「これだけすごいと、[[松本零士]]も宇宙に飛ばせたくなりますね」
*フリー転向後は、参戦する試合会場にてパッケージに自身の写真がプリントされた[[上総ノリ|上総海苔]]を販売している。
 
== 舞台出演 ==