「ニコラウス・コペルニクス」の版間の差分

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=== 幼少期 ===
コペルニクスは、[[1473年]]2月19日に[[トルン]]で生まれた<ref>『コペルニクス 地球を動かし天空の美しい秩序へ』p13 O.ギンガリッチ,ジェームズ・マクラクラン 林大訳.大月書店,2008.11.オックスフォード科学の肖像</ref>。生家は旧市街広場の一角にある。トルンは当時[[十三年戦争]]の結果として[[ポーランド王領プロシア]]の一部になっていたが、[[1772年]]の[[ポーランド分割]]によって[[プロイセン|プロイセン王国]]領となり、現在は[[ポーランド]]の一部に復帰している。ナチス時代にはドイツ人かポーランド人かで論争がおこなわれたが、現在ではドイツ系ポーランド人と思われている。[[ポーランド・リトアニア共和国]]は単一民族による[[国民国家]]ではなく、ポーランド王に従う[[多民族国家]]であったため、ポーランド人、リトアニア人、ドイツ人、チェコ人、スロバキア人、ユダヤ人、ウクライナ人、ベラルーシ人、ラトビア人、エストニア人、タタール人などが民族に関係なく暮らしており、ポーランドの[[市民権]]を持っている人は皆「ポーランド人」であった。王国内の共通言語は[[ラテン語]]と[[ポーランド語]]であり、[[クラクフ大学]]で大学教育を受けてもいることから、コペルニクスが日常生活に困らない程度のポーランド語を話すことができたことは推定されているが、本人がポーランド語で書いたものは現在発見されておらず、彼が実際に日常会話以上のポーランド語をどの程度使えたかは定かではない。
 
彼の[[姓]]の「コペルニクス」はラテン語表記の ''Copernicus'' を[[日本語]]で読み下したもので、[[ポーランド語]]では「コペルニク (Kopernik)」となる。ポーランド語で「銅屋」の意味。すなわち彼は「銅屋のミコワイ(ニコラウス)」である。父方の一族のコペルニク家はポーランドの[[シレジア|シレジア地方]][[オポーレ県]]にある古い[[銅山]]の街[[コペルニキ]] ([[:en:Koperniki|Koperniki]]) の出身。[[シレジア]]地方は13世紀の[[モンゴルのポーランド侵攻|モンゴルによるポーランド侵攻]]で住民が避難して散り散りとなるか逃げ遅れて殺されるかして人口が大きく減少したため、ポーランドの当地の諸侯は復興のために西方から多くのドイツ人[[移民]]を招いている([[東方殖民|ドイツ人の東方殖民]])。そのなかでコペルニクスの父方の先祖(の少なくとも一部)もドイツの各地からやってきて、そのため一族が[[ドイツ語]]を母語としていたものと推測される。